小説には所謂、一人称視点と三人称視点がある。
よく三人称が優れていると勘違いしている人がいるけれど、基本的に一人称と三人称の視点に優劣はないと思う。
考えてみてほしい。
昔の文学はむしろ一人称が多い。
吾輩は猫である、人間失格など、適当に手を取ってみるだけでも、一人称視点の有名文学は溢れていたりする。
なら、なぜ三人称が優れていると言われるのか。メリットとデメリットと、技術の有無によるものかもしれない。
一人称視点のメリットをあげると。
① キャラの感情、心をそのまま表せる。
② ①の応用で勘違いや見落としをキャラにさせることにより読者への騙し(ミスディレクション)を発生させることができる。
デメリットは
①主人公以外のキャラからの視点がわからない。
②書くのが難しい
三人称のメリットデメリットは大雑把には一人称の逆になるだろうか、細かな所は違うけど。
ちなみに一人称を書くのが難しいと言うのは、上手く書くのが難しい、だ。
下手な人が一人称を書くとどうなるか。
僕は何何をした、その時僕は何何を思った。
となる。
考えてほしい、自分が行動する時に一々僕は何何をする、など考えるか?そんな人間は絶対に少数だ。小説なので、ある程度は仕方なくとも僕が、僕が、みたいな小学生の日記のようなものは上手く書けている言い難い。
実の所、一人称の難易度はかなり高かったりする。
対して三人称は簡単だ。誰の何に触れてもいい、主語がきちんと書ける。
勘違いしないで欲しいのは、簡単と言っても一人称に比べてだし、書きやすいだけで優劣には繋がらないという事だ。
一人称は書きずらい上に、クオリティも上がりにくい。
三人称は書きやすい上に、クオリティが上がりやすい。
その代わり最終的に一人称の方が作品としての上になるのではないだろうか。
勿論、三人称でも有名文学なんて腐るほどあるから一概には言えず、だから優劣はないと言ってるのだけれど。
ちなみに最近、三人称に一人称寄りと神視点寄りがあると聞いた。これは僕に理解は出来なかった。
そもそもにおいて三人称を使っての俯瞰とキャラ目線の移り変わりは、当たり前のもので、統一する必要性がないからだ。便利なのが利点なのだから便利に使えばいい。
これが僕の勘違いに繋がる。
要はベースの問題なのだろう。
基本の地の文を俯瞰で見るかキャラで見るかが神視点とキャラ視点で僕の考えの通り、便利に使えばいい。
ただ、試しに書いてみたら書きやすさが段違いだ。
僕は基本的に三人称の俯瞰視点で書き、必要な所のみ一人称寄りに書いていた。
この書き方はずっと続けて来たものだが、とにかく書くのが苦しい。
描写は才能だ。感性という一点は才能でしかない、不愉快だが。
僕の様に才能がなければ、どこかの小説で使われている比喩、描写を引用することになる。在り来りなクソつまらない文の完成だ。
ずっと悩んでいたのだが、この前、部屋の整理をしていた時に見つけたライトノベルを見て初めて気づいた。
「これ、三人称だけどベースが一人称だ」と。
それによって行われるのは、キャラの論理による、描写だ。
例えば「ビーズが散りばめられた様な星空」と言う三人称俯瞰に対して。
「細々(こまごま)とばら撒かれた星が煩わしく輝いている」となる。
美しい星空も主観を入れると印象が変わるし、何より誰にでも伝えるのではなく感情を吐き出す様な文章が僕にはあうのだと。
再度言うと一人称と三人称に優劣はない。
でも向き不向きはある。
試してみないとわからないこともあるよねと言う話。