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「糾正の燐寸」について

書くべきだろうと思ってはいました。
最初にお伝えしておきます。
私は左派ではありません。
かといって右派でもありません。
びみょーに右に寄っている中間だとお見知り置きください。

https://kakuyomu.jp/works/16818093082343956575
糾正の燐寸

まずタイトル。
最初は「燐寸」だけでもいいかなと思っていたのですが、いろいろ言葉を調べていて、「糾正(きゅうせい)」が合っているような気がして「糾正の燐寸」にしました。
意味はキャッチコピーのとおり「物事の正・不正をただすこと」です。
1960年代には一般の学生・生徒たち(大学生だけでなく高校生もいたようです)がデモ活動をしたり、政治について考えて世を正そうとしたりなどの熱い出来事があったようです。
今なら一言で「学生運動」「熱い出来事」などと言えますが、本当に様々な事件があり、中にはすごく残酷なことや陰湿なこと、過激なこともあったようで、今でもテレビのドキュメンタリーのテーマとして取り上げられることもあります。
事件の根っこは前述の「世を正したい」という熱い思いです。
アメリカなどの海外から飛び火した形で日本にも政治について意見を述べる人が多くなり始めていたようですが、きっかけは1960年の日米安保条約の改定問題を巡っての反対運動(安保闘争)でした。
その後、大学の学費が上がったことに反発を覚えた学生たちが起こした運動などもあり、「不満に対して声を上げる」ということが一般化していたらしいです。

確か2~3年前だったと思うのですが、つけっぱなしにしていたテレビのNHKの番組で安保闘争についてやってたんですよ。
で、見てたんですが、当時逮捕されて服役した男性が「あの頃は楽しかった、青春だった」というようなことを言っていて、「はぁ?」と思ったんです。
何かの罪を犯して服役して、「楽しかった」なんてどの口が言えるのでしょう。
身勝手甚だしいです。
青春なんてきれいな言葉で片付けないでほしいと思いましたね。
彼の家族はどう思ったのか、家族の一人が犯罪者として服役することになって何か影響はなかったのか、怪我をさせた被害者に対して申し訳ないという気持ちはないのか、そういう怒りに似た疑問が湧いてきました。
番組では、そういったことには触れていませんでした。
集団リンチで亡くなった人がけっこういたということにも。

学生運動についてはずっと前からちょっと興味があったんです。
現在と比べて、なんて熱い時代だったんだろうと。
なので、主にネットでいろいろ調べてはいたんですよ。
その中の当事者としての話は、大体美化されているという印象です。
集団リンチで亡くなった人が◯人だった、などと載っているサイトもあります。
ただ、数字の記録としてなんです。
そこでまた私は考えてしまうんですよね。
周囲の人々の思いはどうだったんだろうと。
幸いなことに、私には交流してくださる方々がいらっしゃいます。
カクヨムの自主企画の使い方も覚えました。
自分の考えを物語にして発信できるということもわかりました。
また、レイティングなしで社会の闇を書くこともできます。
だから今回、複数の自主企画に便乗して「糾正の燐寸」を書きました。
反応してくださった方々、読んでくださった方々、読んでないけど応援はしてたよ!という方々、みなさまに感謝したいと思います。
ありがとうございました。

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