人の目なんか気にするな!!
自分の信じた道をゆけ!!
なんてのはどちらも歌の歌詞で使い古されたフレーズですよね。
実際僕も10代のころ、反抗期バリバリな心にこういった歌詞は刺さりまくりました。
そんな乱れたかっこするなよという意見を無視して先生を困らせてまで茶髪に腰パンで学校に通い(人の目気にし過ぎ)、健康に悪いよって意見を無視して、いけるいける、いつでもやめたるわ、とばかりにタバコを吹かす(ビビってると思われると嫌という点ではひと目を気にしまくり)、なんていう生活をヤンキーに目を付けられない程度に(また人の目気にしてる……)楽しんでいました。
何が言いたいのかというと、どんなに頑張っても人の目を全く気にしないなんてのは無理ってことです。
まあ僕は基本気にしぃなタイプなので、『え? 俺そんなの気にしたことないよ?』ってマジに言えちゃう猛者も中にはいるかもですが、少なくとも『人の目なんて気にするな!』なんて歌詞にしびれちゃう敏感な感性ビンビンな人たちにとっては割とそうなんだと思います。
なんせ僕たち人間は誰かを好きになり、その先に素敵な世界を見出す生き物です。
好きになった人に好かれることはメチャメチャ嬉しいし、素敵だなって思う憧れの人にしょーもない人だと思われたらマジで凹んじゃいます。
しかし、大人になると僕は少しずつ気づいてきました。
人の目を気にするってのは、場合によっちゃあそんな悪いことでもないんじゃないかって。
自分ってどんなやつなんだろう?
自分のやってきたことって正しいの?
なんてことを自分で自信マンマンに決めちゃうには僕たちは余りにもアホで臆病です。
だから自分に対して意見をくれる人ってのは自分という人間が、どんなもんであるのかを考えることにおいてヒントをくれる人達。
ある意味非常にありがたい存在です。
では、意見してくる大人たちに吠えまくり、イチャモン垂れてくる同級生の鼻っ面にヘッドバットをかまして空回りした過剰防衛を繰り広げら思春期の人達はただのアホなのでしょうか?
僕は全くそうは思いません。
人の目ってのはある意味ホントに危険です。
自分を見る判断に役立つってことは、逆手に取れば相手の人格を操作できちゃうレベルで影響を与えるようなことなのです。
人を言いなりにするのに暴力はいりません。相手に自分からの高い評価を、それはもう喉から手が出る程に欲しがらせればもはや言いなりです。
実際それを匠に使って金を稼いだりしてるヤカラもいるし、そうでなくても無意識にやっちゃうレベルのものまで含めればそれは世界に蔓延しています。
それは"常識"という形をとってマイノリティを抑圧します。
モチロン常識のもたらすメリットというものは甚大で、常識と言う概念さえも生まれなければ、この世界は未だに搾取と暴力が支配していたことでしょう。
しかしこの"常識"という名のスーパーヒーローは、創作活動を強く邪魔することがあります。
次回はそのあたりをちょっと掘り下げて書いていければと思います。
……気が向いたら。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892038286