凄く単純に書く人を二つに別けるとして、情景を伝えたい人と心情を伝えたい人がいるとしたら、僕自身は後者となる。
なので情景描写というものは苦手意識がある。そういう意味では現代劇というのは楽だ。コカコーラを表現するなら、コカコーラという単語で伝わる。
仮にコカコーラが作品の中で、すごく重要な意味を持つとして、黒い液体の中で炭酸の泡が弾ける情景が大事なのだとしたら、コーラを知らない人のためにそれぐらいの描写は書くだろうけど。
ここまで書いて思ったけど、どんな話だよそれ。
話を戻そう。例えば、現代劇として羊が出てくるシーンを書くとしたら、こんな風に書く。
茂みを何かが進んでくる音がして振り返る。深い緑の中から、黒い顔を覗かせる。羊だ。なぜ、こんなところに羊がいるんだろう?そんな疑問が浮かぶ。
その羊は、ゆっくりと全身を見せる。黒い肌と対照的な白い体毛が、朝の日差しを浴びて輝いて見えた。
まぁ、最低限の情景は通じるんじゃ無いかと思う。それは僕たちが羊という生物について、ある程度の共通知識があって、それに頼ってるからだと思う。
これが例えばメーメーと同じ外見を持つ謎の生物だとしたらどうだろう?
茂みを何かが進んでくる音がして振り返る。深い緑の中から、黒い顔を覗かせる。穏やかな瞳でこちらを見つめながら、ピンと立った耳は周囲の音を警戒するように細かく動いている。メーメーだ。なぜ、こんな所にメーメーがいるんだろう?そんな疑問が浮かぶ。
メーメーは、何かを探しているかのように、小刻みに鼻を震わせながら、ゆっくりと4本の足で進みながら、その全身を見せる。深い黒色の頭部と足先以外は、対照的に真っ白な巻き毛に包まれている。100kgぐらいのふっくらとした身体を覆っている体毛は朝日を浴びた新雪のように、柔らかく輝いていた。
推敲も校正もしてない雑な文章だけど、この程度はメーメーの外見の描写を書かないとダメな気がする。ある程度は伝わる気がする。でも、それも僕自身が羊のような生物という認識で、書いて読んでるからじゃないだろうか。
一般的にモンスターと言われるものの姿形をイメージする。その描写を文字として書く。その描写は過剰じゃないだろうか?不足してないだろうか?伝わっているだろうか?
正解は多分無い。
それでも、現実に無いものを書かなくてはならない。
異世界ファンタジー小説は難しい。