叔母の危篤

肺に管を通したら、自分で呼吸するのを忘れるそうだ。その管は2週間でダメになるらしい。
2週間、あんなに繋がれてたとえ肺炎がよくなり取れたとしても、成人病のかたまりのような身体は楽になるだろうか。
叔母の意識はしっかりしていた。私のことばに反応していた。痛い、暑い、もう嫌だ、みたいな感情が目の動きでわかった。
叔母はもう積極的治療はしないという文書を残していた。あのまま逝かせてあげた方がよかったのか。最初の医者は最悪だった。嫌なやつだった。
施設の人と病院が話をして、まともに対応できるようになった。
医療従事者には感謝である。
私はあれから自分の未來を重ねて、きっと睡眠薬を飲まないと寝れないし繋がれて生かされたら嫌だと思う。
私がこの先1人でいても2人でいても勝手に繋がれるかもしれない。私は繋がれたくない。
そっと意識を失って死にたい。
だけど、私も繋がれるのだろう。
叔母が今、痛くないように。ただそれだけだ。
痛いのは嫌だ。

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