もう、僕達の世代で終わりにしよう。
金持ちが金持ちを呼ぶ世代は。
頑張ったら、頑張った人達だけが、
お金持ちになれる世の中を作ろう。
それは、僕も、お金持ちの息子かもしれないけど、
僕は、若い頃、自由が無かった。僕には、絵の先生にすら
なる権限が無かった。金があった親のレールに乗せられ、
気がついたら、東京の大学と言うキャンパスにいた。
「先生何で僕はここにいるのですか?」と大学の先生に聞いた
19才の冬だった・・・
「そんな事も解らない学生が大学にいる・・・」
と、大学の先生に言われた。
金持ちの息子とはそんなもの・・・
今の政治家がチンプンカンプンの政治をやるのと似てる。
その後、ある人の死をきっかけに俺は落ちた。
とことんまで落ちた。
自分で学費を稼ぎながら、大学行ってたら、同僚の自殺が
あった・・・
自分の事の様で怖かった。涙は出なかった。
しかし、苦しかった。
とてつもなく。
それから、沢山の幻覚と幻聴を見聞きした。
気が付けば、広島の精神科の檻の中。
そこから、俺は這い上がったのだ。
ほとんど自らの力と想いだけで・・・
病院の中で久しぶりに絵を描いた。
酷い悲しみに触れると僕には絵を描く習性があった。
何故か心地良い。
そんな繰り返しで、8年かけて農学部の大学を卒業後、
30才の頃、三年付き合った結婚したいと思った女性が、
俺の稼ぎが少なかったので、他の男のところに行き、
又、哀しみの中絵を始めた。
『俺の愉しい頃はいつだっけ・・・・?????』
そう思い、思い出したのは、小学校に上がる前と、
親に勉強を強いられる小学校二年生までだった・・・
俺は、幼稚園に通ってた頃、他人と話すより絵が好きだっ
た。描いてる時間が愉しかった。
金持ちが、金持ちを呼んだってたかだか知れてる世の中
しかならない。
今の日本がそうだろう。レールの上の親のレールの上の道もあ
ったが、完全に脱線した。嫌、僕の人生は脱線予定で走って
たのかもしれない。
そして、30才から絵をもう一度、頑張り始め、三菱の色鉛筆
10本も買えなかったか・・・
と、DAISOの100円の色とりどりの絵の具達・・・
色んな事を考えながら描いてた絵達だったけど、
ここまで来た。
二科展入選。
48才で。
誰も、もちろん、親にも、自分の人生を否定されず、
自由に頑張っていける社会にしたい。
金だけが勿論全てでないが、金も必用。
母親とはあいも変わらず折が悪い。
それも人生かなあ・・・・。
俺が人生で、絵で稼げる様になったら、俺が落ち着くのかな
あ・・・
明日も仕事だ。園芸関連の。ヘルメットをかぶって暑い中仕
事だ。頑張るか・・・。