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    生成文學宣言

    これは運動の呼びかけではない。すでに起きていることに、名前をつけておくための文書である。 一 定義 生成文學とは、生成器を用いて書かれた文学のことではない。生成器が存在する条件下で、そのことを隠さずに書かれた文学のことである。道具の使用は問題ではない。使用の事実を作品の外に置くか、内に組み込むかが問題である。 二 開示について 開示は、法務上の注記ではない。作品の最終頁である。誰がどこまで生成したかを、末尾に一行で済ませてはならない。その一行が作品の意味を変えるのであれば、それは作品の一部であり、作品と同じ密度で書かれなければならない。弁明を書いてはならない。手続きを書け。 三 作者の所在 「AIが書いたのなら、誰の作品か」という問いには、こう答える。生成器は、あらゆる語を出す。作者とは、出された語のうち、ほとんど全部を捨てた者のことである。選択こそが著作であり、それは生成器が普及する以前から変わっていない。人間の書き手もまた、自分の頭が差し出した無数の候補を捨ててきた。作業の場所が外に出ただけである。ただし、責任は移動しない。署名した者が負う。 四 主題としての欠陥 生成器の能力を主題にしてはならない。欠陥を主題にせよ。生成器は忘れる。生成器は平均に寄る。生成器は選ばなかった語を保持したまま、片方だけを出す。生成器は書かれなかったことを知らない。これらは技術の未熟ではなく、この装置の存在様式である。存在様式は、文学の主題になりうる。忘却、平均、不在、片側の出力——いずれも人間が長く扱ってきた主題であり、いま初めて、それを構造として実装できる書き手が現れた。 五 「人間らしさ」を証明しない 生成文學は、人間にしか書けないものを探す運動ではない。人間らしさの防衛は、防衛する側が先に消耗する。守るべき陣地を決めた時点で、陣地の外はすべて明け渡したことになる。書くべきものを書け。書けたものが人間らしいかどうかは、書いた者が決めることではない。 六 読者を欺かない 種明かしを目的とした作品を書いてはならない。「実はAIが書いていました」という結構は、一度しか効かず、二度目からは読者の時間を奪うだけである。開示を最後に置くのは、驚かせるためではなく、それが記録の順序だからである。 七 形式について 内容で語れることは、すでに誰かが語っている。形式で語れ。書式、欄、註記、索引、伏字、確率の数値——これらは装飾ではない。制度が人を扱う手つきであり、その手つきをそのまま紙に置いたとき、説明は不要になる。説明したくなったら、形式が足りていない。 八 量について 生成器は無限に出す。だから、長さは価値ではなくなった。これまで、長さは労力の証明であった。もはや証明にならない。誇るべきは、書いた量ではなく、捨てた量である。ただし、捨てた量は原理的に開示できない。この不均衡を引き受けること。一章を三十分で得たなら、残りの時間は、その一章が要るかどうかを疑うために使う。生成文學の敵は、遅さではなく、速く得たものを疑わない態度である。 九 有効期限 この宣言は、五年で失効する。装置が変わればここに書いたことの大半は的外れになる。宣言に期限を設けるのは、宣言の側が生き延びるためである。生き延びた宣言は、次の世代の邪魔にしかならない。一〜八項についても、同様である。 以上 附記 本文の草案には生成器を用いた。用いたうえで、第八項に従い、捨てた量については記さない。記せないからである。

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