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コーヒーブレイク

2013年12月某日
「明日、原稿用紙を持ってきて」「わかった」

これは父と交わした最後の会話。
僕の父は、放送作家だった。
「笑点」「噂の!東京マガジン」といった長寿番組に関わり、周りからは「山西先生」と呼ばれたりもしていた。

父に、これといった趣味はほとんどなく、
本当に仕事人間だった。
これを趣味と言っていいのかはわからないが、
『担当番組の冒頭、もしくは終盤に流れる
「構成 山西伸彦」の文字を家族にみてもらうこと。』
これが毎週末、父の楽しみだった。

父は、家ではほとんどお酒は飲まなかった。
だけど、BS-TBS「吉田類の酒場放浪記」が好きで
「創介が成人したら、新宿の思い出横丁とか、そういうところで一緒に呑もう」なんて話をしていたのを覚えている。

冒頭に記した会話が、「最後の会話になった」
と記した通り、父親はこの翌日に意識を失い、
2014年1月10日にこの世を去った。
あと数ヶ月で僕も成人して、思い出横丁に共に繰り出せるようになる、そんなタイミングの冬のことだった。
ーーーーー
当時、大学一年生だった私は将来のことなどあまり考えず、大学の勉強と共に(?)「好きなこと」に夢中だった。
その筆頭が音楽、鉄道。
ライブハウスで弾き語りをしたり、
時には時間を見つけて旅に出たり。
大学を卒業したらどんな仕事に就くか、
なんてまだ考えもしていなかった。

だけど、欠けてしまったココロのパズルのピースは埋まらなかったのだろう。
僕は春が来る前に初めてのアルバイトを始めた。
中学からの友人の紹介で入った、カフェチェーン店だ。
正直、当時はどちらかといえば紅茶派。
コーヒーはまともに飲んだことがなかったが、
幸いにも僕が働き始めた東新宿のお店は、
コーヒー愛で溢れた人に恵まれていて、
気づけば僕の「好きなこと」にコーヒーが加わっていた。
ーーーー
バイトを中心に、「好きなこと」に打ち込む日々は過ぎ、
就職先を考えなければならない時期になってきた。
真っ先に頭に浮かんだのは「テレビ番組制作会社」だった。
いくつかの会社に履歴書を送った。
その中には、生前父親が関わっていた「噂の!東京マガジン」を作る会社も含まれていた。
僕は気づけば、リビングのテレビの前でナレーション原稿を書く父親の、すこし猫背な背中を追いかけるようになっていた。
ーーーー
2017年4月、晴れて社会人となった僕は
「噂の!東京マガジン」のADとなった。
生前の父親を知る人たちからいろんな話を聞いた。
会社の編集部屋に来る時は、いつもお菓子を買ってきていたこと。実はお酒が好きだったこと、赤坂の和食屋さんにお気に入りの茶碗蒸しがあったこと。ダジャレをよく言っていたこと。
あの日頼まれた原稿用紙を、届けることはもうできないけれど、なぜか父もそこにいるような気がしていた。
ーーーー
2022年10月
僕は会社を辞めた。
ここに詳しくは書かないけれど、今はまだ書きたくないけれど、
仕事もそれ以外も、いろいろと思うようにいかなくなって、やるべき事に気持ちが追いついていかなくなってしまったこと、それが原因。僕がただただ弱かった。
「やって!TRY」のディレクターをやらせてもらえるようになって、まだまだこれからというタイミングだった。正直、僕は未練しかない。不甲斐ない。
見えた気がしていた、父親の背中が今はもう見えない。
やはり原稿用紙は届けられそうにない。
埋まり始めていたパズルのピースは
またどこかにいってしまった。

空っぽになった僕は、もう一度「好きなこと」と向き合うことにした。
鉄道でいろんなところに行った。
もう一度、ライブハウスで弾き語りを始めた。
そしてもう一度、バイトを始めた。
学生時代のバイトの縁、同じカフェチェーンの別店舗で。

そして久々に友達と飲みに行くようになった。
最近は専らひとりで飲みに行くことようになっていたけれど、
こうして人と笑い話をしながら、思い出話をしながら飲む酒も悪くはない。いや、むしろ良い。
もっと、「僕は人と飲みたい」と思うようになった。

だけど時々、
無性にひとりで飲みに行きたくなる時がある。
そんな時に選ぶお店は、
「吉田類の酒場放浪記」で出てくるような、
その街に根ざした小さな居酒屋。
あの頃父がテレビで見ていた、ちょっと古びた
だけど人情味があって、肴と酒がうまいような、
そんなお店。
なんでそんなお店ばかりに惹かれてしまうのか。
最近、僕は薄々わかるようになってきた。
ーーー
再び、欠けてしまったパズルは
どう埋めていけばいいのだろうか。
思い出話が増えてきたことで、
前より少し歳を重ねてしまったことに気付かされる。

立ち止まった時間、無駄にするのもしないのも
全ては自分自身。
コーヒーの実は、寒暖差で美味しく熟す。
そんな話を聞いた。きっとこの気持ちの寒暖差も
僕が美味しく熟すために必要なものなのだろう。
そう思うようにしよう。

とりあえず、
今の僕を支えてくれているのは、
そして大切にしたいのは「好きなことの時間」。

あの日渡せなかった原稿用紙は、
自分の手で埋めていけるようになればいい。
今はとりあえず、あたたかいコーヒーでも飲みながら。

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