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作風はどうあるべきか

 「三回目」を久々に更新して多少ながらフォローもいただいたりした中で思ったのですが「白日」と「三回目」……同じ人間の作品と思えないなぁと(笑)
 自分には一体どっちの書き方、作風があってるのかなと少し考えたりします。
 コメディ全開の「三回目」にも時折シリアスぶち込む辺り、やはり「白日」みたいな作品の方があっているのではと思いつつ、「白日」は「白日」でお風呂シーンのようなコメディっぽいのを入れている。
 「勇者召喚」は両方がほどほどに混ざってる感じですかね。

 作者に対して読者様が期待する作風っていうのは少なからずあると思うんですよね。
 シリアスな作風の作者が急に下らない下ネタ全開の作品を書いてたらドン引きでしょうし。
 自分の場合、「白日」に対して多くの方から評価をいただいているだけにやはりそうした作風を求められているかと思います。

 東野圭吾も「怪笑小説」「毒笑小説」「あの頃ぼくらはアホでした」など、今の作品からは想像できないような作品もありますし、京極夏彦も「どすこい(仮)」なんてギャグ小説を書いてました。
 この二人、お笑い小説について対談してましたっけか。
 正直、上記作品の評価は芳しくなかったと記憶しています。
 これほどの作家であっても、自分たちが大きく評価された作風から外れた作品ではあまり評価されなかったという事実は、挑戦するのは大事だけど複数のジャンルでいい作品を書くのは難しいと、そんなことを教えてくれます。

 しかしまあ自分は素人作家なわけで、評価されていると言えそれもまだまだなわけです。
 自由に、思うまま書いていいじゃないかと、好きに書いていこうと。
 結局はそんな結論に達しました。
 書いてて楽しいのが一番、自分が読んで面白いと思う作品を書こうと。
 そのスタンスでがんばります。

1件のコメント

  • 私から言うと、昨今のwebの作風は不満なのでしっかりと書かれていた白日は期待してます。だけれどもそれが黒須さんの作風なのかといわれたら疑問です。
     なぜかと言われたら作風なんて何作も出して、売れて世に認められて、客がイメージを勝手につけて決まるものだと思う。

     漫画家だってヒットした作品のイメージで違うもの書いてもぱっとせず、結局ヒット作の続編書いてそれが売れる人なんていっぱいいるわけで。
     CITY HUNTERとかキャプ翼とかキン肉マンとかw

     だからとりあえず違ったジャンルを書いてるならそれぞれ書いたら良いと思います。そうしたら構成ではなく文章を考える時に自然と出る方はどっちかってわかると思う。

     私自身書いてみて思うのは、昨今のような人物像や心理、情景など簡単に書いて会話文並べてと下書きしてみたんですが、とても楽でした。
     ただ書いてるうちに勝手に、
     夜の暗闇を走る。その闇を照らすかのように満月の光が照らす。
     とかのような登場人物の心理状態を代弁させようと書いたりしてしまって、結局全体を書き換えました。
     結局、私はこういうのが好きなんだ、あんな感じはこの先も書けないなかも、と思うのですよね。

     そしてそれが楽しいんですよ。読まれようが読まれまいが、楽しい。
     ただ、実際書いてると1作ぐらい応募して思い出づくりに結果が出たらいいなと思ったら、崩さないといけないだろうなぁ……と思ってます。
     その時にたぶんどこかで折り合いつけて、しっかり書きつつも、読み易い作品が出来てたりする。かもしれません。

     こういった創作物は言ってるように自分をみつめつつ、自分探しをしながら、好きなように、楽しいと思えるような作品を書き続ける。
     かと……。

     だから結論通りで今は良いと思います。たぶん。
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