ある作品を読んでいて、導入部のとある場面で引っかかったので思いつくままにメモ。
ほぼ自分向け。批評ではなく研究用資料。
該当のシーンは8行ほど、「ある目的地へ向かう途中で休憩し、サンドイッチを食べる」というものだ。
先に情報を整理すると、
・出発前に「買ってきた」サンドイッチである
・「包装」をほどくと「肉や野菜といった色とりどり」の具材を見栄え良く挟んだ「パン」が「まあまあの分量」入っている
・銅貨五枚にしては「なかなかのコスパ」である
・かぶりつくと「肉の旨味と新鮮な野菜の食感、ソースのハーモニー」が美味い
・パーティーのメンバーと「思い思いの場所に並んで」食べる
ちなみにファンタジーで、目的地の状況について話すまでの前触れといった場面である。
もったいないな、と思った。
グルメ主体の作品ではないので細かく言及していないのはべつに問題ないのだけど、ここは「もっと美味しくできる」はずなのだ。
上記で「」書きしたのは工夫のできる余地があると感じた部分。
せっかく「ファンタジー」で「食事シーン」なのだ。
一手間かけるだけで化ける。
たとえば【サンドイッチ】という概念。
本文ではそのままの言葉で出てくる。もちろん異世界にサンドイッチやパンがあったっていい。
でも、サンドイッチに似た「何か」であるだけかもしれない。
呼び名が違ったり、具材が「その世界特有のもの」だったりするかもしれない。肉にしても野菜にしても果実にしても調味料にしても、たとえば当日の朝「獲れた、摘んだ、作った」ものならばエピソードとして絡めることができる。
名称や概念をいちいち創作して詳述せよというのではなく、読み手に対しての「異世界感」を演出できる要素がゴロゴロしているのに雰囲気がまるで漂ってこないのが問題。
【買ってきた】ということはパン屋か、あるいは冒険者向けの食堂といったような外食産業が存在するということである。そこに一言感慨を加えるだけで、地の文で余計な『説明』をしなくて済む。
また、あえて「買ってくる」必要はあっただろうか? メンバーや、お世話になっている宿の看板娘の手作りであったりとか、キャラの関係性や性格を提示したり、それを元にした会話のネタに昇華できたはず。逆に、「買ってくる」ことで関係性の希薄さを見せるということもできるが、そういう意図でもないようだ。
「食べ方」によるキャラクターの提示。
かぶりつく → 美味い。
だけでは伝わる要素があまりに少ない。食事作法には性格や育ちが出る。習慣や信仰といった要素もある――この作品には職業(ジョブ)として「神官・僧侶」といった概念が出てきたのでその反映がないのは気にかかったところ。
「かぶりつく」は原文の表記ではあるが、食欲や空腹にまかせてがっついたのでもなければ粗野な人間性を表現したのでもないようだった。もったいないと思う。
好き嫌いがあったり、長い付き合いであればお互いにそれを把握していたり。食材に対する先入観、食わず嫌い、味付けの好み、少食だったり食いしん坊だったり。
「誰と、どのように食べるか」。
位置関係が関係性(距離感)そのものを表現することは多いが、そこまで専門的に細かい言及をしなくても、共有する空気感や位置取りである程度の描写はできる。
思い思いに並んで――というのは、便利な言い回しではあるが何も表現されていない。
たとえば、いつも一緒にいるペアが珍しく離れていると思ったら、相方が苦手な食べ物を持っていたから……とか。「心情的な交友が持てない相手とは、絶対に食事を同席させない」という表現法則は宮崎駿だったはず。
『行動』として見る「食事」というアクション。
食べるという行為に付随する要素は、上に書いたように様々にある。一方で、「食べさせる」側から見る行動・動機というのも描けたりする。
提供するメニューの選択だけでなく、提供方法にもそれは表れる。
選ぶカラトリー、テーブルや照明の雰囲気、四季や旬のものを選んだり、添え物(デザートや飲み物)にも、好みをどこまで把握しているかとか、いろんな要素が出せる。大皿や丼でドーンと出すか、相手の様子を見ながら出すものを決めてゆくのか。
気配りを描くこともできれば、嫌がらせやイタズラとしての行動も描ける。わさびを仕込むとかニンジンを仕込むとか。
そしてそれは登場人物としての「動機」が根底にあるがゆえの、ひとつのアクションなのだ。
――で、重要なのは、「何を描くか」である。
あるキャラクター間の仲の良さを描きたいのか、
こいつにも苦手なものがある、を描きたいのか、
食事に対する考え方や所作から過去を浮き彫りにしたいのか。
件の場面は、いろいろできるのに何もしていない。
他シーンの筆致を見るに、おそらく「できない」のではないと思う。興味がないのか、やり方を知らないか。
そんなわけで、頭の中で「もったいねぇ!」の叫びがうるさいのでこうやって供養するのココロ。
とはいえ『いろいろ工夫して考えたから全部書きました』は最悪のパターンでもあり。
脳裏に浮かぶイメージを描くことに夢中になるのではなく、なにを表現するために「どんな軸を通す」のか、失念しないようにしたいものである。
なんてことをつらつら考えていたら、
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進学を機に、親元を離れて一人暮らしをしている女子大生の主人公。そろそろ進路を決めなければいけない時期になってきているが、明確な目標が見つけられず漠然とした不安を感じている。
そんなある日、姉から、娘をしばらく預かってほしいと連絡がくる。夫婦そろって海外への長期出張になるため家をあけることになるが、転校させたくはないので通学距離に住んでいる主人公に任せたいのだという。
姪とはいっても子供のころに多少会った記憶がある程度。渋る主人公に、姉は預かってくれている間の家賃や光熱費を負担し、手間賃という名のお小遣いもくれると持ちかける。欲しいものが買え、バイトも減らせる――という誘惑に負け、うっかり引き受けてしまう。
やってきた姪は人形のように整った容姿をしていたが、とても無口だった。同じ年ごろの知人や後輩もおらず、コミュニケーションに四苦八苦する主人公。
数日後、主人公の(あまりにズボラな)食生活を見かねたのか、姪は毎日の食事は自分が作る、と意思表示してくる。いわく、食事への無頓着さが母(姉)と同じなのだとか。
一緒に買い物へ行ったり、食卓やお弁当を通して、お互いの好き嫌いや考え方を知ってゆくふたり。彼女の調理は、言葉よりもずっと雄弁だった。
ごはんとは、お昼、翌朝、一週間……そんなふうに少しだけ先の未来を考えることでもあった。
そんな生活を通して、主人公は自分の将来と向き合ってゆく――
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というお話が思い浮かんだので、誰かこんな感じの作品を知っていたら読みたいので教えてください。
ちなみに男女ペアにしなかったのは、料理や距離感といったメインが薄れてしまうため。