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小説にコロナ禍の描写を入れるべきか

大前粟生の「おもろい以外いらんねん」という小説を読んで思ったこと。
コロナ禍がこれからも続くのか、それとも収束するのかは分からないが、小説という営みにおいてコロナをどのように考えるべきなのだろう?
現実から遊離した舞台立てであれば気にする必要はない。コロナに擬した伝染病や感染症を描いてもいいし、描かなくてもいい。マスクや手洗いうがい、火葬をしない異世界人に現実の対策法でイニシアチブを取ってもいい。そもそもウィルスのことを考えないというのもありだろう。
が、仮にも現実の延長線上の作品を描こうとするとなると少し難しくなってくる。
拙作「僕と彼女のオカルティズム」においても、この件については迷いがあった。コロナ禍を描くべきか。マスクをさせるべきか……
色々考えて、描かないことにした。
僕が大学生活を送った平成末期の何気ない生活を描写したいと思った。
だから主人公と沙也加は普通に大学に通うし、上野の美術館に行くにも予約はしないし、学園祭も普通に開かれることだろう。
そういう、失くなってしまったものを思い出すような書き方も良いように思う。

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