先日、お出かけをしてきたんですが、この数年続いているコロナ禍のなかで、本当にいつにもまして出不精になっているなあと感じました。土日といったら家の中を片付けて、気になっていること調べて、昼ちょっとすぎたらもう「あ、一日おわった」と思っていたりして、めちゃくちゃフットワークも重かったんですが楽しかったです。もっと、出かけようと思います。で、そこでいろんな絵画を見て来たんですが、いろんなものを数秒で読み取ったり感じたりすること自体がめっちゃ難しいじゃんと思いつつも、そこに作家がいのち自体をいかに閉じ込めようと努力しているのかは思わされました。時代によってもいろいろとあると思いますが、女性だったり、服の流れる線だったり、「生きている」感は思考というか見ている人を自由にさせると思います。で、それがテーマとして、人生上の恋愛だったり、人と人の間に起こる摩擦だったり、ドラマティックな陰惨な出来事だったり、そういうものがそこにひとつのかたちとして生きてる感をもってあると、よりいっそう自分の人生が際立つ。みたいな感じなのかなあと思いながら見ていて、自分は一番興奮を感じた花束の絵とニシンの絵のポストカードを買って帰ってきました。食べ物を書く・・・そういう意味不明な、それでいて「生きている感」を感じるものだとも思いますし、花束の絵ってよく描かれているみたいですが、ほんとにきれいですよね。で、結局、限られた場だったのでえ、あれもないの?これもないんだ・・・みたいな感じはあったんですが、でも楽しかったです。そのあとで自分が好きな絵画って何かなと考えていたけど、すぐには思い付きませんでした。数年前はゴッホも好きだったんですが、ゴッホは、じいいっと見ているというよりもたまに見て「ゴッホ元気だな。生命力あるな」って思う感じのものだし、今はアンリ・ルソーみたいな線にちょっと異常なくらいこだわった絵とか、あとは風景画が好きだなって思います。風景画ってインドア―でいるときに見ていても、けっこう気持ちがひろびろとして来るんですよね。自分はそれを詩を書いてるときに感じました。全然関係ないように見えて、そういう心の引き出しが無いと人ってうごけないものなんだなあって。
で、何かある時期から「病」「病気」というテーマが多くなりつつありますが、ヤンデルからっていうよりも自分がそれをよく知っているからっていうのがあります。だから書いている間は、もちろん言葉っていうもの自体がフィクションなので、まったく嘘とも言い切れないし、まさにこれがひとつのリアルでもないしっていう感じもあります。もちろん自分が、命やからだ、心情的なことに興味があるからっていうこともあります。だからそれが誰かの役に立てばっていうのが、今一番の願いでもあります。
で、何を書こうかとしていたかというと、小説をひとつ書き終えました。これを書いていて、ほんとに書くことって自意識との闘い(自分内)だなと思いました。だから、もうインドア―な自分が「やめろ、やめろ」とざわめきだすとそれに打ち勝てなくなってくるんです。ひとつのことを書こうと思っても、いろんなこと、関係ないこともいっぱい必要なのが「書くこと」で、ほんとにもっと自分はあちこち動いていた方がいいなあって思いました。
終わりです。