「AKIRA」について

この前友人に誘われて映画「AKIRA」を見た。
闘争や革命の失敗や思春期の葛藤といったテーマが見え隠れしたが、一度で表現されたものの主要な点を言葉にできるほど自分の能力が高くないということも感じた。

というわけで、中心的ではないものの自分が感じた違和感のほうをまあ何とか書いてみる。
この映画を通して感じたのは、人の身体的な痛みの生々しさだった。人が人を鉄棒で殴り、人同士が殴り合いのけんかをし、人が人を撃ち殺し、超能力者による街の破壊により人が死に、超能力者との戦いで人が死ぬ。中心的な主題よりもそっちの衝撃に気を取られてしまう。

作品にあるのは痛みや衝撃を表現することへの躊躇のなさであるかもしれない。そこには、事実を淡々と映すまなざしがある。
しかしスプラッタ映画のような傷口や臓物は登場しない。表現がある程度のデフォルメを加えられていることは理解できる。打ち倒す瞬間や飛び散る肉片が事細かに描いてあるわけではない。
その瞬間を描かないことで強調しているとも、恐怖を掻き立てる根源はその瞬間までの描写の中にあるともいえると思う。

昨今見るアニメ映画にないほどそういったシーンが含まれるだけなのかもしれない。暴力的な表現が現在ほど規制されていなかったためだろうか。
⇒そうすると暴力的なシーンによって描き出したかった心象とは何か。

それとも主人公たちを浮き上がらせるための周辺の描写が、昨今の作品よりも丁寧になされているだけなのかもしれない。資金が結構かけられていそうなことはわかる。

それともセカイ系とそれ以前の中間的立ち位置に作品があるためだろうか。世界の存亡にかかわる力やそれが少年たちに発現することはセカイ系に近そう?と思うが、その力の社会とのかかわりは事細かに書いてあるような気がする。

いくつか思うことを並べてみた。またこれ以後結びつくことがあれば書こうと思う

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