薄暗い冬を越して訪れた春は、眩いほどに明度や色彩を惜しみなく、しかししっとりと見せつける。雪の下に隠されていたそれがすごいスピードで現れるせいで、気づくのは気温が夏に近づく頃だった。気がつけばその匂いが充満し、それが私の鼻をくぐり抜ければ、私は感動する他なかった。
その頃にはもう、桜は散りかけて、新しい匂いと不安の匂いが入り混じる春の空気に呑み込まれている。そんな空気が漂う夕方は何処か悲しく、重苦しい。
エアコンをつけた時の埃っぽい匂いが、最初は不快に鼻を刺激するのに、しばらくするとそれが愛おしく、悲しさを含む匂いになってしまうのは、この部屋で思春期を過ごしたせいだ。
そんな匂いで思い出すことは、何処か儚い雰囲気を纏った、不安定で憂鬱な気持ちだった。何も知らない、人から受けた言葉を全て信じて受け入れていたあの頃の自分がまだ居るようで、その時に信じて疑わなかった暗示が未だに私を不安にさせる。もう自分で考えられるようになった私が見れば、その時の暗示は間違っていると大きな声で言えるはずなのに、その匂いが真実を掻き混ぜる。それが匂いのせいなのか、それとも小さい頃言われ続けた常識はなかなか消えることが無いからなのか。
そんな匂いが私の春を訪れる。