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妖怪ものを書くに至った理由

こんばんは、添慎です。

唐突になってしまうのですが、この場をお借りして、私が妖怪ものを書こうと考えた理由や経緯がについて少しお話しさせて頂きます。

一つ目の要因。それは、妖怪の魅力性に見せられたことです。彼らには、人間にはない能力や特徴があります。例えば、不意に現れて不可思議な予言をしたり、森の中からがさがさと顔をのぞかせいたずらに人間を驚かせたり、見上げれば見上げるほど大きくなったり、一つ目、首が長いもの、動物が人間に扮したものがいたり……。とても列挙しきれないほど多種多様で、図鑑や書籍を読むたびにどんどんと興味が深まっていき、彼らを主役とした物語を描きたいと、気が付いたら筆を執っていたのです。

二つ目の要因。これが結構大きな部分になってくるのですが…。
私は、現在妖怪が人間と共存しているものの形骸化しているという設定で小説を書かせて頂いているのですが、なぜこんな設定にしたのかというと、現代社会に根深く残る差別や偏見を体現し、それに立ち向ったり葛藤する主人公を描きたいと考えているからなんです。

遡り、小学生だった頃。当時、私は妖怪が登場する某アニメ番組をを毎回欠かさず見ていたのですが、今でも非常に印象強く残っている回があるのです。

人間の子どもが、野槌にいたずらを仕掛け、激怒した野槌が彼らに襲い掛かります。そこに颯爽と現れた主人公陣営が野槌を取り押さえ見事退治してのけるのです。まあ、いわゆる子供向けのお話ではあるんですが、何故その話が十年以上たった今でも印象に残っているのか。

主人公たちが喜ぶんです。退治できたと、取り押さえることができたと。でも、当時の私は非常に疑問に感じたんですよ。「野槌は悪いことしてない、人間が最初に攻撃したのに、これではあまりにも浮かばれないだろう」と。今思うと、これが今後の作品につながる大きな契機だったのではないかと思います。人間本位の世界で中で妖怪たちの心情を視座する物語を書きたい。そんな動機づけの、一大出発点だったように感じています。

また、時は戻り現代。私は、現在学校で社会福祉を学んでいるのですが、講義の中で差別と排除、偏見と迫害の歴史や現状を学んできました。無知や無理解を主な発端とするそれらは、皆様もご存じな通り、今でも世の中に蔓延り続けています。

お恥ずかしい限りなのですが、これまでの人生の中で私は上記の事実から目をそらしながら生きてきました。他人事だと考え、遠ざけていたのです。しかし、学べば学ぶほど、決して他人事ではなく自分事であり、一人一人がしっかりと考えてゆかなければならない課題だと感じるようになりました。そして、少しでも上記の内容を実感して頂けるよう何かできることはないかと考えたとき、たどり着いたのが「作品制作」でした。

もし実際に妖怪が現実社会にいたら……。あくまで私の推測でしかないのですが、彼らは惨い目に遭っていたと思います。危害を加える可能性のあるもの、人間の営みについてゆけないもの、人間とは「違う」見た目をしているもの……。どんなに素晴らしい特性を持っていたとしても、大多数の人間は排除する選択をとるでしょう。

私は、妖怪という素晴らしくも誤解を受けやすい存在の視座、葛藤に立ち向かう個人としての視座、そして、上記の現状を憂い、双方のために働きかける存在の視座を描きたいと考えております。一人でもいい、ほんの少しでもいい、なにかに気が付いて頂けたり、良い作品を読んだときに残る、あの心地よい余韻を感じて頂けたら……。そして、娯楽中心であっさりとした作品が好まれる現在、不利なのはわかっているけど、それでも、誰かの心にこの思いを届けられれば……。その一心で、今もこうしてパソコンの前に座り込み、文字を打ち込んでいます。

長文になってしまい申し訳ございません。こうして自分の創作のスタンスを記したことがなかったのでついつい長くなってしまいました。

拝読して頂き誠にありがとうございます。『挽歌』の執筆が終わり、いよいよシリーズものの作品制作に取り掛かるつもりです。刑事ものです。
もし機会等ございましたら、ご覧いただけると嬉しいです。

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