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宗教と科学

これも散々昔書いたことなのだけれど、一応自戒のため。

言語というものは、必然的に書くことにより自律的に閉じようとする。
科学的言説というものは、本来その閉じようとする運動に抗うものだと思っています。
けれど、その閉じようとする運動に導かれるまま語りつづけると、宗教にいきつくと思っています。

しかし、本来現実は閉ざされることを拒みます。

その閉ざす運動が、現実の閉ざされない非決定性に阻まれたとき、さらに強引に閉ざすことをめざせばとても危険なことがおきると思っています。

たとえば、古くはアルビジョア十字軍のような不幸なできごと。

わたしたちは、神秘性をめぐる言説に関わるときには、とても注意深くならなければ、いけません。

2件のコメント

  • 「神秘性をめぐる言説に関わるときには、とても注意深くならなければ、いけません」
     まさにその通りだと思います。
     自分が頭の中で考えるだけならいいのですが、それをオープンにしたとたん、それは様々な人の目に触れることになります。
     もしかすると、それは曲解へとつながるかもしれません。
     とくに、死後の世界があるから、人を傷つけてもいいのだという考えに結びつくと危険ですね。
  • 空知音さん。

    コメントありがとうございます。

    おっしゃるとおり、死ぬのは神のもとへいくこと
    という考えはひとつ間違えば、大変なことになりかねません。

    神秘性は、必要な場合があるのだとは思います。

    けれど、取り扱いには十分な注意が必要だと思います。
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