弓裔という人物は日本では知られていない。私も三国史記の全訳を行うにあたって初めて知った人物である。しかし、朝鮮史における彼は、いわば中国でいえば始皇帝か項羽、日本で言えば信長か秀吉に相当する存在である(この時点で割とネタバレっちゃネタバレになっちゃうかな)。どんな人物かといえば、腐敗した王朝の混乱期に貧困の母子家庭から身を起こして群雄に成り上がった……という時点で稀代の立志伝の人物なわけだけど、それに留まらず王家の落胤にして弥勒菩薩の化身を自称する隻眼の仏僧という邪気眼ステータスをこれでもかと詰め込んだ邪気眼の夢みたいな人物なのだ。
私は子供の頃からおっさんとなった現在に至るまで重度の邪気眼である。そのため弓裔には強烈なシンパシーを感じ、歴史小説? を執筆? することに相なった。まともに小説なんぞ書いたことがないから、自分でも小説と呼べるものなのかよくわからないけど、読んでもらえたら幸いです。
以下に三国史記弓裔伝のうち、第一話の原作(?)となっている部分を貼る。訳はわたくし。本来は漢文の翻訳サイトの方が主なネット上での活動……のつもりです。全然読者いないけど。私がぐちゃぐちゃ手を入れた小説もどきより原作の方が面白いと思う。
↓↓以下、訳文。↓↓
【現代日本語訳】
弓裔は新羅の人、姓は金氏、生みの親は第四十七憲安王誼靖、母は憲安王の嬪御(※側室)であったがその姓名は失われている。あるいは、四十八景文王膺廉の息子とも伝わっている。
五月五日に外家にて生まれたが、その時の屋根の上から長き虹のような純白の光が天の上まで立ち昇っていたことから、日官が上奏した。
「この赤子は重午の日(※端午の節句のこと。もともと強い陰気を放つ日として不吉とされていたが、そのため厄払いの祭祀の日となることで徐々に祝日と解釈されるようになり現在に至る。)に生まれ、生まれながらにして歯が生えております。しかも異常な光焔が起こりました。おそらく国家に不利をもたらすことになるでしょう。どうかあれを養わないようにしてください。」
王が中使(※朝廷直属の使者)に勅し、その家に行き着かせ、それを殺させることにした。使者はおむつの中から手でつかみ、それを高楼の下に投げたが、ひそかに乳婢(うば)がそれを受け取っていた。誤って手で触れてしまい、その子の目のひとつを深く突いてしまったものの、抱えたまま逃げ出し、苦労しながらも養育した。
齢十歲余りになっても(弓裔は)遊戱をやめることがなかったので、その乳婢(うば)は彼に告白した。
「あなたは生まれてすぐに国から棄てられたところ、私は忍びないと思ってひそかに養い、今日に至っているのです。それなのにあなたはそのような狂態を晒して……。人に知られてしまえば、間違いなく私もあなたもどちらも免れることはできないでしょう。どうしてそんなことをするのですか。」
泣きながら弓裔は、「もしそれが本当なら私はもう二度と帰ってきません。母上に心配をかけることもないでしょう。」と言って、そのまま世達寺まで立ち去った。現在の興教寺がこれである。
【書き下し文】
弓裔は新羅(しらぎ)の人、姓(かばね)は金氏(うぢ)、考(うみのおや)は第四十七(よそあまりななつめ)の憲安王誼靖、母は憲安王の嬪御(そばめ)なるも、其の姓(かばね)も名も失はる。或(あるふみ)に云(いは)く、四十八(よそあまりやつめ)の景文王膺廉の子(むすこ)たり、と。
五月(さつき)の五日を以ちて、外の家に於いて生まる。其の時の屋(いへ)の上に素(しろ)き光有ること長き虹の若し、上は天(あめ)に屬(つ)きたり。日官(ひのつかさ)は奏(たてまつ)りて曰く、此の兒(ちのみご)は重午の日を以ちて生まれ、生まれながらにして齒を有(も)ち、且(しか)も光焰(ひかり)の異常(まがまがしき)あり、恐らくは將に國家(くに)に利(よろ)しからざるを來たらしめむとす。宜しく之れを養ふこと勿れ、と。王(きみ)は中使(なかづかひ)に勑(みことのり)して其の家に抵(あ)たらしめ、之れを殺させしむ。使者(つかひ)は襁褓(おむつ)の中より取りて、之れを樓(たかどの)の下に投げり。乳婢(うば)は竊(ひそ)かに之れを捧(う)くるも、誤りて手を以ちて觸れ、其の一目を眇(ふかづ)けり。抱へて逃竄(のが)れ、劬勞(ほねを)りて養ひ育みたり。年(よはひ)十餘歲(とあまりあまり)にして遊戱(あそび)止まず。其の婢(はしため)は之れに告げて曰く、子(そち)の生まるるや、國より棄つられ、予(われ)は忍びなしとして、竊(ひそ)かに養ひ、以ちて今日(いま)に至らむ。而れども子(そち)の狂ひたること此の如し。必ず人に知らるる所に為らば、則ち予(われ)と子(そち)は俱(とも)に免がるるなし。之れを為すは奈何(いか)に、と。弓裔は泣きて曰く、若し然らば、則ち吾は逝かむ。母の憂ひを為すこと無し、と。便(すなは)ち世達寺に去(ゆ)けり。今の興教寺とは是れなり。