そういえばヴラド3世ことヴラド・ツェペシュ公爵ですが、彼は串刺し公として有名なのはご存知かと思います。
けれど、串刺し刑って実は当時はあまり珍しいことじゃなかったんですよね。
彼の場合、ちょっと串刺し刑やってるところでご飯食べたりしてただけで。
余談ですが、ドラキュラ城として知られるルーマニアのブラン城。実はヴラド公は住んでなかったという説が有力なんだとか。
私の小説「悪魔公女ソフィア」の主人公ソフィアの母は実はヴラド公の一人目の妻という設定なのですが、彼女は同じくルーマニアにあるポエナリ城から身を投げたとされています。
ポエナリ城は雄大な絶壁に立つまさに難攻不落の要塞で、ヴラド公がオスマン帝国の侵攻に抵抗したとされる場所になっているのですが、そう考えた時にこっちのがドラキュラ城なんじゃないかとふと思ったりもします。
以下、ネットで拾ってきたポエナリ城の写真です。