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3分の2完了&問題整理

こんにちは。

『続三国志II』も3分の2が終わった今日この頃ですが、そろそろ次を考えないとなあ、、、と思っています。気が早いヒトですね。

いや、
『通俗續後三國志後編』の翻訳やるんじゃないの?

準備を進めて来年初めから再開というのも考えなくはないんですけど、原書の『三國志後伝』の結末が「オレたちの戦いはこれからだ!」風なんで、どーすんの?ということもありまして。

原書では河北のテーマとなる石勒と劉曜の関係を描き切れてないんですよね。プチって感じで終わります。こんだけの長編でそれってどうなん?

『三国志演義』もわりと最後はそんなんだった気もしますけど。

幸い、『通俗續後三國志前編』は西晋の始末をつけるところまで描かれておりまして、一区切りつけるにはちょうどいいのです。

んでまあ、今が約80万字ですから、『続三国志II』が終わった時点で大体95万字くらいになると思うんですよね。100万字はいかない、と思います。
それでも原稿用紙2,375枚、ぐはっ。

この書き散らした翻訳をとりあえず整理しないといけません。問題は以下の通りです。
・文章が荒い、用字がバラバラ
・人名の字が前後で変わる例あり
・ルビ振り規定を後付けしたから一貫していない
・頂戴したご指摘を踏まえて▼を見直すべき
・旧字の使い方の規定があいまい
・石氷の一章まるっと削除どーする
問題山積。。。

最大の問題は、
・難解で中学生には読めない
という点でして、昔の自分にはキツイよなあ、と思います。

もっと噛み砕くべきですし、難しい言い回しも意味を取れるように工夫すべき。ノーストレスで読め、読み終わると西晋の歴史に少し詳しくなる、というのが理想ですよね。

しかし、翻訳を手入れしてそこまで到達できるかというと、難しいんじゃないかなあ。

そもそも、
「明治の人はどんな小説を読んでたんやろ?」
から
「明治の人が楽しんだ中国歴史小説を手軽に楽しめないのが気に入らない」
となり、翻訳公開に至ったわけでして、逐字訳ならぬ超訳とはいえ、翻訳文をガラッと書き換えるのは気がひけるわけでして。

なので、『続三国志II』の公開を完了した後は、『続三国志』を含めてもう一周手入れをし、その後、『続三国志III』をどうするか、考えたいと思います。

図体がデカいから読み直しもなかなか時間がかかりますが、まずは「翻訳したよ」だけじゃなくて、もう少し気の利いたところまで持っていきたいところではあります。

ふえー、前途多難。

8件のコメント

  • お疲れ様です。

    『通俗續後三國志後編』はですね。本当、どうなんだろと思いますね。私も(笑)

    twitterでのつぶやきでもあの中途半端な終わり方で叩かれていましたし、需要あるのかなとも思います。もちろん、私は楽しみですが、河東さんのお手間を考えるとどうかなと。

    歴史としての五胡・東晋は重要ですが、文学としての題材としてはどうなの? 「三国志演義」から離れた「三国志後伝」に大きな価値はあるのかという感じですね。酉陽野史の話していたテーマとも大きくずれますし。元々、漢の再滅亡を語るのではなく、おそらくは劉裕により晋を滅ぼしてテーマとしては完結なはずです。

    酉陽野史が書きたいのは、石勒無双ではなかったはずなのにそうなっています。私自身、三国志後伝を「趙雲の孫が天下を穫る! 趙雲ファン必見!」って話してますし(笑)

    また、先日お話した文章の目的の話しとも絡むのですが、

    >・難解で中学生には読めない

    >「明治の人が楽しんだ中国歴史小説を手軽に楽しめないのが
    >気に入らない」
    >となり、翻訳公開に至った

    とでは目的が変わるでの大きく変更するのはよろしくないと思います。

    次ぎの作品で変えるか、新たにジュニア版「三国志後伝」として書くべきかと思います。

    ジュニア版は私もあくまで構想としては、持っています。人物をかなり絞って、視点を劉淵陣営だけにして、面白い話しだけをピックアップして、最後をハッピーエンドにすることを考えるのは楽しいです。講談とはそういう性質のものなので、原作レイプ(笑)ではないと考えています。

    ジュニア版水滸伝なんて、最後は北宋が梁山泊の力でさらなる強国になるところで終わりますからね(笑)
  • こんばんは。

    〉漢の再滅亡を語るのではなく、おそらくは劉裕により晋を滅ぼしてテーマとしては完結なはずです。

    なるほど、たしかにそれならキレイですね。しかし、壮絶な長丁場になります。

    劉裕の生まれは363年ですから、西晋滅亡の313年からさらに半世紀後、『後編』では諸葛宣于や姜發兄弟も退場、前趙の滅亡が329年、後趙の滅亡が351年ですから、まだ届かない。。。どうやって間を持たせるのやら。もしかして、慕容部大活躍?

    かなりムリしないと、劉淵から劉裕までは繋げられないですね。


    〉あの中途半端な終わり方で叩かれていましたし、需要あるのかなとも思います。

    正直、『後編』は『三国志演義』色はかなり薄くなりますから、『両晋通俗演義』あたりと接続して劉曜と石勒の結末まで描かないと一くさりのオチはつかないでしょうね。
    まあ、やるにしてもオマケ扱いにせざるを得ないです。とはいえ、色々と面白い話がなくはないので、目をつぶって翻訳するのもアリといえばアリなんですけど。


    〉三国志後伝を「趙雲の孫が天下を穫る! 趙雲ファン必見!」って話してます

    ウソはついてないですよね(笑


    〉大きく変更するのはよろしくないと思います。

    そう考えています。
    翻訳はあくまで古典文学大系チックな方が好みですから、あまり大きくリライトはしないつもりでして、ルビ・注の充実と文章の刈り込みがメインです。


    〉新たにジュニア版「三国志後伝」として書くべきかと思います。

    これも一案としてアリだよなーと思っていまして、もともとバカっぽい文章を書くので、気楽に書く方が入りやすいかもなあ、と。あるいは、ですます調にしてしまう、とか。軍談調は肩がコリます。


    〉ジュニア版水滸伝なんて、最後は北宋が梁山泊の力でさらなる強国になるところで終わりますからね(笑)

    おー、そんなんありますか。招安に応じたところで終わらせたらそうなる、、、かなあ?

    たぶん最初に読んだのは岩波版だから、悲惨な最後を読んで意識がモーローとした記憶があります。

    文庫8冊読んだ果てにこの仕打ちって一体。。。黒旋風ー!!

    しかし、古いラノベでは西谷史『女神転生』シリーズ(ゲームの元ネタにもなりました)みたいに3冊で読者を愕然とさせるバッドエンドを決めた作品もありますからね。CLAMP『東京バビロン』も驚愕した記憶があります。

    アレはアレで勉強になった気がしないでもないですし、別に勉強しなくてもいい気もします。

    とりあえず、
    『続三国志II』を終わらせる
    『続三国志I &II』をキレイにする
    まずはこの二つを片付けるのが先決ですよね。
  • そうですな。物事には順番がありますから。先にやることからやった方がよさそうですね。

    三国志後伝は今有るだけで145回なので、前趙滅亡が10回、後趙がダイジェストで3回、冉魏で3回、前燕・桓温・前秦は10回ぐらいで、淝水あたりで劉裕で登場で皇帝即位かその死で終わりで100回ぐらいやる予定だったのかな、と。大団円は宋の文帝の元嘉の治ですかね。構想では。劉裕はしっかり書いたら、長いでしょうからね。

    私の方も例の三国志後伝調査のまとめにはいっており、確認したいことがまだあるので、国会図書館に頼みながら平行して行っています。

    中国語論文も手に入れて、新しい情報も分かりました。

    まとめが終わったらご連絡します。

    超訳へのコメントは第七十三回までにして、しばらくお休みします。近況ノートは適時に書かせていただきます。
  • まめさま


    こんにちは。

    〉先にやることからやった方がよさそうですね。

    そうします。やっぱり進めるって価値があると思いますから、終わらせてから磨きます。


    〉三国志後伝調査

    徳田武先生以来、半世紀ぶりの新情報ですよね。
    戦前に将来した明代の版本が東洋文庫に収められ、複写のみ東大に残るも原本は国外に持ち出されて残らず、国内に残る複写は忘れられた。。。
    流転、というヤツですね。ロマン。

    しかし、やはり大戦を経たことで散逸の危機に晒されたのかなあ。。。十六國春秋や鄴中記の断片に歯嚙みをしている身としては、戦火と書籍は気になります。あんな本やこんな本があればなあ。。。


    〉超訳へのコメントは第七十三回までにして、しばらくお休みします。

    先日、『続三国志』のコメントを全部コピーしたんですけど、軽く8万字超えてました。長編小説1本分ですよ(爆

    99%近くがまめさんとのやり取りです。

    これは申し訳ないなと思いました。甘えておる、と。他の作者のみなさんは独りで書いておられるわけでして、オマエだけまめさんと二人三脚かよ、と。明らかにココまで来れた理由の一つです。

    いつもありがとうございます。

    そんなワケで、まめさんもあんなに熱心に論文を渉猟されたんだから、ご自身のためにまとまったものを書く方が絶対イイよね、と思っていましたので、コメントお休みは泣きながら賛成です。

    後伝調査が終わったら教えて下さいね!
    (序をシレッと直さないと。。。)


    〉近況ノートは適時に書かせていただきます。

    お待ちしております。
    基本的には歴史ネタを中心にポツポツ書いていきたいと思います。何で五胡から隋唐までに興味が限られるん?という点はマジメに考えて行くつもりです。それにより、後伝の後をどうするかに影響すると思いますし。

    まあ、三国志+シルクロードが始まりだから、という可能性もまったく否定できないんですけど。。。三つ子の魂百まで、とも申しますし。
  • ありがとうございます。

    >ご自身のためにまとまったものを書く方が絶対イイよね、
    >と思っていましたので

    実は、小説を一度それなりにいれこんで書いたことのある私にとって、小説を書くという行為はかなり神聖なものなのです。自分や家族・友人だけで楽しむ私小説ならともかく、ネットにアップしてたくさんの人に見てもらおうとする小説は、傑出した才能や情熱がない私は、数年間は訓練の上で書くべきものと考えています。

    また、歴史の知識を使った創作で、この二つをその時々で作者の都合で使い分けるような作品はつくりたくないのです。これは双方を都合のいい道具にしている考えだと思っています。

    ですが、翻訳や分かりやすい歴史解説・評論はそこまでのものはいらないので、今、行っていきたいと思っています。ただ、気楽というわけではなく、素人の勝手な考え(または創作)という理由で間違いなどの指摘から逃げることはできないものだなとは考えています。

    >後伝調査が終わったら教えて下さいね!

    それは、間違いなく、お知らせします。
    近況ノートでは中国語論文の内容もお知らせしますね。

  • おはようございます。

    〉小説は、傑出した才能や情熱がない私は、数年間は訓練の上で書くべきものと考えています。

    なるほどですね。
    最近はネットにアップして意見を貰うのが訓練になっている気がします。接し方は人それぞれなので、楽しめる限りにおいてはどちらもアリです。


    〉歴史の知識を使った創作で、この二つをその時々で作者の都合で使い分けるような作品はつくりたくないのです。

    酉陽野史。。。
    史実、蓋然性が高い推論、創作は制御されていればいいかな、と思います。ただ、読む側からすれば三者の区別はなく、マイナーな時代を扱う場合は注意が必要ですね。
    小説書きは全力で嘘をつくのが仕事みたいなもので、三者を区別なく楽しませて主題を書ききるのが目的でしょうから、食い合わせが悪いと言えば悪いかも知れません。


    〉歴史解説・評論

    これは史実、推論とそれらから導かれた蓋然性が高い主観の推測から成るものと理解しています。
    だから、これらを名乗りつつ創作が入る場合は、ちょっと意味合いが変わってきますね。
    推論の違いなら議論も成立しますが、そこに創作を混ぜられると、議論は成り立ちません。それ以前に解説でも評論でもなくなってしまいますし。


    〉素人の勝手な考え(または創作)という理由で間違いなどの指摘から逃げることはできない

    解説、評論の場合は議論して自説を磨くために公開するものだと思いますけどねー。指摘はウェルカムじゃないと辛そうです。

    あとは「オレはこう観ている」という宣言ですか。それは一つの見方として参考にするのがよいと思います。議論を求めていない方もおられますし。

    ネット上の議論を拝見する限り、立論方法、論拠の提示および相手への敬意など議論の前提が欠落している例が多く、不快感のぶつけ合いみたいになってる事例も散見されます。

    残念ながら、日本には感情を横に置いて議論する文化がほぼありませんから、仕方ないかも知れません。

    作品や意見はあなたから出たものであってもあなた自身ではない。だから、それらへの批判や異論はあなたを否定するものではない、という前提はちゃんと教育するべきなんですけどね。。。


    〉近況ノートでは中国語論文の内容もお知らせしますね。

    よろしくお願いします。
    しかし、大陸の論文は古いものになると内容がかなりアレなものもありますから、鵜呑みにはできないんですけどね。。。扱いが難しいです。
  • >酉陽野史。。。

    酉陽野史は単独で書いているとすれば、あの時代としては驚くべき構成力とは思いますよ。羅貫中と施耐庵が単独でなく、練られる機会もさほど得られなかったようですし。練られなかったのは、政治的なものか、質かは別として。

    また、序で「全部、作り話だよ」と断っているところに誠意を感じます。反三国志みたいに「これが歴史の真実」(笑)と言えば、マイナーな時代なこともあって、当時の民衆は騙されてくれたでしょうに。劉淵が漢王朝を引き継いだのは事実ですしね。そっちの方が売れて洗練されただろうから、かえって残念なことかもしれませんが。

    私の言う「歴史の知識を使った創作で、この二つをその時々で作者の都合で使い分けるような作品」というのは、「これは歴史に則った事実・解説・評論だ」と言って、(あるいはそういう印象を抱かせて)、批判や詳しい解説を受けたら、「実はただの創作」と言い訳する作品ですね。ただの読者はともかく、歴史を調べるほどの作家が司馬遼太郎氏らに対する批判を知らないことはないと思われます。

    >残念ながら、日本には感情を横に置いて議論する文化が
    >ほぼありませんから、仕方ないかも知れません。

    というより、ネットでは本人の権威に関わるのでしょうな。相手の意見を聴いたら謙虚というより、「負けた」と評価するのが多そうです。また、ネットでは相手が見えないから、いきがった方がかっこいいというのもありそうですね。学会の方らしい人が、twitterで暴れたことを見たことがあります。

    >大陸の論文は古いものになると内容が
    >かなりアレなものもありますから、鵜呑みにはできない

    今回は1990年と2000年の論文で、出典がすでに私が知っているものに限定されているんですね。いかに、「三国志後伝」の研究が本場でも進んでいないかが分かります。これは、翻案がある分、日本にアドバンテージがあるようですよ。

  • こんばんは。


    〉反三国志

    あー、周大荒でしたか。昔は講談社文庫に入っていて爆笑した記憶があります。ある意味、かなり面白かった記憶があります。違う意味で。


    〉「これは歴史に則った事実・解説・評論だ」と言って、(あるいはそういう印象を抱かせて)、批判や詳しい解説を受けたら、「実はただの創作」と言い訳する作品

    あまり厳しく詰める必要もないかとは思いますが、史観が一部の意見によるものであるとの宣言はした方がいいですね。

    あと、史実の出典を集めきるのは難しいので、管見、という言葉は便利に使えます。すべての研究も所詮は管見の限りにすぎませんから。

    個人的にその先は特にありません。創作なら最初に創作と宣言しよう、というくらいかなー。

    管見は問題ないですし、それを軸にするのも研究者以外なら可です。管見を脱する前に人生が終わる可能性がありますからね。歴史は広く、かつ長いものでございます。


    〉相手の意見を聴いたら謙虚というより、「負けた」と評価するのが多そうです。

    ほほー、そんなものなんですね。
    そう言えば、「論破」という言葉を好きな方が多いようです。実際に論破できているかはともかく、見ていて微笑ましく思います。
    しかし、論破したから何なのかはよく分かりませんでした。そこで議論を切ってしまって建設的な議論にならないので、そういう方の発言は使い物にならないですね。一緒に探求すれば面白いでしょうに。


    〉1990年と2000年の論文

    まあ新しいですね。70年代の論文はかなりキテましたからね。翻訳してそのままムーに投稿したくなるレベルでした。
    明代小説の研究はかなり進んでいると聞いていましたが、やはりメジャー所からなんでしょうね。残念。まあ、その方がいいですね。
    いずれ、中国の研究者がまめさんの論文を引かなくてはならなくなるかも知れませんよ。胸熱です。
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