-大村藩情報・開発経過-安政二年四月十四日(1855/5/29)
■次郎
・海軍兵学校、陸軍士官学校設立。
・産業育成、藩外交、オランダ外交
・総括
・蝦夷地(樺太・択捉含む)防衛計画並びに樺入植計画。
■精|煉《れん》方(総括:信之介)佐久間象山は全部回る。
・電力系全般……廉之助・東馬・村田蔵六・ブルーク・興斎・大野規周
・転炉の研究開発(以下5人)
高島秋帆 -全体管理、大砲の施条技術と小銃の金属薬莢の調整く。
武田斐三郎-大砲の施条技術の研究と開発。
大野規周- 榴弾の改良と信管のさらなる研究。
賀来惟熊-後装砲の開発、特に装填機構の精度と耐久性の向上。
村田蔵六-小銃の金属薬莢の開発。
・機帆船至善丸(スクリュー=Sと記載)・瑞雲丸(S)・祥雲丸(S)建造……ハルデス他職人と船大工をはじめ学生・村田蔵六・上田寅吉
・1,700トン級スクリュー推進艦建造
・蒸気機関車の製造……同上
・蒸気機関の研究開発……150馬力~・150psi~を目指す。……ハルデス・功山・弁吉
※領内全域電信敷設中。佐賀藩領の大村湾沿岸部共同敷設
・製茶自動化……ハルデスと功山&高林謙三+弁吉
・高炉セメントの研究開発。(信之介+α)
・3~4ドック造成中(ポルトランドセメント)
・魚油のけん化(水素添加)の研究。……ブルークと適塾の5人+杉亨二
・冷蔵庫の動力化(蒸気)……高野長英+廉之助
・炭素アーク溶接完成(アーク切断、ガス切断、ガス溶接、鉛電池……信之介+隼人)
■五教館大学(賀来|惟準《これのり》・三綱。|惟舒《これのぶ》)。+ブルーク。
・石油掘削技術の研究開発(機械掘り)……適塾5人(綱掘りから
・焼き玉エンジンの研究開発……+佐久間象山+杉亨二
・プレス機、圧延機の改良(抜き打ち蓋底完成)オランダ人技術者+佐久間象山+杉亨二
■医学方(一之進、宗謙、敬作、俊之助、イネ)+洪庵&適塾メンバー
・下水道設計ならびに工事開始……橋本勘五郎+武田斐三郎。
・新薬の研究開発、臨床。
・|殺鼠《さっそ》剤。
■火術方
陸軍奉行
高島秋帆
立石昭三郎・・・蝦夷地部隊責任者(ミニエー部隊、ジャスポー部隊)
(武田斐三郎)
(吉田松陰)
(宮部鼎蔵)
新式銃と大砲を用いた戦術運用
・武家連隊ならびに平民師団の運用
■海防掛
海軍奉行
江頭官太夫(+次郎左衛門+ライケン)勝海舟+田口俊平
・沿岸警備と艦隊運用(設立)
・飛龍丸(73.5t)、昇龍丸(360t)、蒼龍丸(360t)、徳行丸(400トン)・至善丸(400トンS)・瑞雲丸(800t造船中・S)・祥雲丸(800t造船中・S)
・四国、本州沿岸測量。北海道へと進む。
■産物方(お里、賀来惟熊)
・製茶自動化(高林謙三)、増産、仕入れ拡大。輸送に機帆船
・桑畑の増加と生糸の生産。