いつの年代の小説にも、「子供の心」「大人になってしまう」なんていう言葉が出てきがちだ。
現代のロックや漫画でも見かける事が多い気がするが、正直それは大人に対する不満といった意味で、こちらの意味とは違う気がしていた。
しかし、だから小説の方の「子供の心」の意味を理解できていた訳ではない。何度その部分を読み返してもそれの意味をついぞ知り得ることは出来なかったように思う。
それが最近、その言葉の裾が掴めてしまったのでは、という感覚があった、自分の中では。
これを読んでる公道は、小学生の時になんの意味もなく靴をビショビショにして帰る感覚を覚えているだろうか?
私はすっかり忘れていた。なんならそれを嫌だと思っていた。今振り返ると、母に靴を濡らさずに帰ると褒められた事からそれを始めた気がする。
小学生の時、私はわざわざ段差の間の雨水が流れている所を嬉々として踏みつけていた。
それを最近この歳でなんの意味もなくやってみた。
明らかに雨水を避けようとしないイカレにしか見えないが、その客観視を全て無視すればかなり心地の良いものだった。なんと、理由もないのに笑ってしまった程である。こんな事、小学生の時にしか体験した事はない。
その感覚はとても嬉しいものだった。
そして、母がいつも靴を二足買えというのは、小学生の頃の私の馬鹿な行いを未だに覚えてくれているからだという事も。
この頃の悪意のない母へのいじめは思い出す度に笑ってしまうのは何故なんだろう、無知って言う事がおもしろいんだろうか。
ここで唯一問題となってくるのが、雨水を踏んだあとの1時間の移動で濡れた靴下がものすごく痒いこと。
あれで全て後悔に変わるくらいには痒かった。
あと、その日酷使した靴は未だに乾いていない。
母も完全に油断してNetflixで韓国ドラマばかり見ているから、まさか私の靴がビショビショだなんて夢にも思っていないだろう。自分で乾かす方法が必要になってくるのがこの歳の面倒くさいところ。
完全に話が脱線したが、子供の感覚をこの文章でまた掴めただろうか。
私にはまだ「子供の心」やら「大人になってしまう」なんていう言葉の意味は理解できない、むしろ裾を掴めそうで少し嬉しかったくらいだが、いつかは完全に理解できてしまう日が来るだろう。
その時は来てほしくないなんて思ってしまう自分もいるが、それはそれだけ周りを大切にして、自分の自己中心的な感覚をなくしていった、という事で褒めてあげてほしい。
でも、子供の感覚なんていうものを原色とするなら、きっとお前は今漂白剤でうっすくなったオレンジ色だけどな。
たまには雨の日に靴ビショビショにしたり、壁にクレヨン塗って未知の怪物を作り出したりしなさい。
もう眠いから二度寝する、朝起きたばっかりの時ってどうしようもなく二度寝したいよね