「捕食者系魔法少女」第2巻発売を記念して短編を公開します。
内容は「レッドクイーン視点」を描いた短編、時系列は前半が「召喚」後、後半が「開幕」後になります。
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人形の蒐集癖があった少女は、ウィッチという存在に強く惹かれた。
彼女たちの写真を熱心に収集し、自身がウィッチとなってからは自ら撮影を行うようになった。
あらゆる知覚から消失するマジックがあれば容易なこと──その油断が致命的な結果を招く。
一度目は異端のウィッチに救われ、事無きを得た。
しかし、二度目は許されなかった。
「やっぱり死んでくれますか?」
月下の旧首都にて遭遇した蒼きウィッチは白刃を振り抜く。
首が宙を舞い、世界の色が反転する。
ウィッチナンバー411、アリスドールは死んだ──はずだった。
超常の力であるエナは、生を強く願った少女を再構成する。
周囲に満ちるエナも取り込み、少女は赤き女王へ生まれ変わった。
そして、蒼きウィッチの監視対象兼協力者となり──
〈ここまで苦手だったとは……〉
暗転した世界に声が響く。
声帯を震わせない独特の発声は、ウィッチのパートナーのもの。
その状況にレッドクイーンは既視感を覚える。
「やはり外で待たせるべきだったか」
幼げでありながら無邪気さの欠片もない声。
それを聞き、朧気だった意識が徐々に明瞭となっていく。
気を失う直前に見たものは、恐ろしい巨大昆虫と──
「シルバーロータス様は悪くありません」
鈴を転がすような声がレッドクイーンを覚醒へ導く。
己の首を刎ねたウィッチの声を忘れるはずがない。
本能的恐怖を抑え込み、目を閉じたまま周囲の様子を窺う。
闇の中に響く無数の足音──それは蟲の足音。
レッドクイーンは悟る。
絶対に目を開けてはならない、と。
「私が無理に連れてきたせいです……」
しおらしい声で告げるアズールノヴァ。
敬愛するシルバーロータスの前では、純粋無垢な新米ウィッチを演じている。
その名演にはレッドクイーンでなくとも舌を巻くだろう。
だが、それを指摘しようものなら命はない。
「シルバーロータス様?」
床面を叩くブーツの足音が耳元へ近づき、レッドクイーンは身を硬くする。
傍らで膝を突く小柄な気配は、虫愛づる姫君だ。
「このまま床に寝かせておくのは……忍びない」
子どもを見守る大人のような優しい声色が心地良い。
次の行動を想像し、淡い期待を抱くレッドクイーン。
このまま狸寝入りを続ければ、あるいは──
「待ってくださいっ」
駆け寄ってくるヒールの足音。
それは監視対象に現実を思い出させる。
「私がやります、やらせてください!」
「いや、しかし……」
頭上で繰り広げられる問答など耳に入らない。
レッドクイーンは冷汗を流しながら、己の浅慮を呪う。
この状況に陥る前に瞼を開けるべきだった。
シルバーロータスの手を煩わせる者には容赦しない──それがアズールノヴァだ。
短い付き合いでも、それだけは理解していた。
二度目の斬首が脳裏を過ぎる。
「バディなので!」
「そうか…?」
新米ウィッチの勢いに押され、引き下がるシルバーロータス。
レッドクイーンは女神から見放された。
「はい、お任せください!」
しなやかな手に支えられ、硬い床面より離れる後頭部。
不意に浮遊感を覚え──柔らかなクッションに着地する。
スカート越しに伝わる体温、清潔感のある乙女の匂い。
それが膝枕であると理解した瞬間、レッドクイーンの思考は停止する。
餌を取り上げられたハムスターのように。
「…少し、安心した」
硬直するレッドクイーンには気づかず、安堵の声を漏らすシルバーロータス。
「バディは、大切にな」
ウィッチナンバー13はインセクト・ファミリアを率い、インクブスの軍勢を殲滅する。
既存のウィッチとは一線を画す彼女は、その特異性ゆえに孤独だ。
しかし、個人には限界があると理解している。
「はい!」
その真意を汲み、アズールノヴァは素直に頷いた。
肝心のバディは恐怖と幸福の狭間でハムスターになっていたが、捨て置かれる。
「モノクロモスたちを戻してくる」
新米ウィッチの返事を聞いたシルバーロータスは踵を返す。
足音が遠ざかっていき、不意に止まる。
「連絡手段については、そのあとだ」
「はい、分かりました」
何のことはない確認だ。
再び歩み出した主を追って眷属たちが動き出す。
コンクリートを叩く足音、外骨格の擦れる音──すべては波が引くように去っていく。
ようやく訪れる静寂。
月光射し込む廃工場の一角には、2人のウィッチが残された。
「レッドクイーン」
アズールノヴァは静寂を慮るようにバディの耳元で囁く。
それは夢の終わりを告げる声。
現実へ引き戻されたレッドクイーンは、重圧に思わず息を呑む。
「起きてますね?」
しなやかな指先が頬を撫で、目の下に添えられる。
ここで目を開けなければ、光なき人生が待っているだろう。
「……え、えっと」
薄く目を開ければ、抜け落ちた天井より注ぐ月光が飛び込んでくる。
そして、わずかに視線を上へ向ければ、見目麗しいウィッチの顔があった。
「よく眠れましたか?」
ワインレッドの瞳に映るアズールノヴァは、穏やかな笑みを浮かべている。
しかし、その蒼い瞳には感情が宿っていなかった。
人形を彷彿とさせる無機質な笑みは、彼女にとって攻撃性の発露。
「ぴぇ…」
レッドクイーンは涙目になって震え上がるも拘束からは逃げられない。
猛禽に捕獲された小動物のようなものだ──
「はぁ……今回は仕方ありません」
小さく溜息を吐き、目を閉じるアズールノヴァ。
協力者と認めたウィッチには多少の寛容性を見せる。
「あ、ありがとうござ──」
「これからは慣れてもらいます」
ただし、多少である。
「え?」
狸寝入りを後悔しても時すでに遅し。
レッドクイーンの行先は巨大昆虫たちの下に決定した。
◆
アズールノヴァとレッドクイーンの信心には、決定的な違いがある。
それは信奉する対象だ。
アズールノヴァはシルバーロータスという個人を、レッドクイーンはウィッチという存在を、それぞれ信奉する。
前者は仇なす者であればウィッチだろうと殺害を厭わない。
「どうしますか…?」
レッドクイーンはバトルアクスの柄を握り締め、燐光舞う交差点を見回す。
アスファルトに刻まれた黒い影は、ウィッチの残滓だ。
インクブスに隷属した裏切者を断罪の刃は決して逃さない。
「ここで介入すれば事態が複雑化します」
夜空に轟く銃声と爆発音に、眉を顰めるアズールノヴァ。
現在、旧首都には複数の勢力が入り乱れ、混戦状態となっている。
彼らの目的は一つ──シルバーロータスだ。
彼女の庇護を求め、他者を蹴り落さんと相争う。
醜い大人たちの戦争だ。
「……有象無象の分際で」
苛立ちを募らせるアズールノヴァの様子から、シルバーロータスを取り巻く状況は芳しくない。
しかし、レッドクイーンの五感は平均的なウィッチの域を出ないため、状況が分からなかった。
戦場音楽に耳が慣れ、徐々に恐怖が鈍化していく。
「あ、あの……アズールノヴァさん」
時を持て余したレッドクイーンはバディの名を呼ぶ。
交差点の先、河川敷を睨むアズールノヴァは振り向かない。
「どうしてシルバーロータス様のために戦うんですか?」
そんな彼女に抱いていた疑問を投げかける。
シルバーロータスは献身に応えられない──すべては旧首都の闇に隠されているから。
対価を求めぬ献身に疑問はなかった。
信奉する対象に自ら対価を求めるなどあってはならない。
「シルバーロータス様に救われたからです」
先日の廃工場でも聞いた言葉を口にするアズールノヴァ。
嘘偽りはないのだろう。
しかし、彼女の報恩は度を越している。
裏切者であってもウィッチの殺害をシルバーロータスが望むとは思えない。
「あの方はインクブスを滅ぼし、世界を救う」
アズールノヴァは独白のように言葉を紡ぐ。
願望ではない。
たった一人のウィッチが人類の天敵を滅ぼすという確信が宿っていた。
「世界を、救う…?」
それは夢想家の戯言のようにも聞こえる。
言葉を反芻するレッドクイーンが夜空を見上げれば、鈍い爆発音が大気を震わす。
多くの人々はインクブスの殲滅を諦め、現実から目を逸らしている。
「私たちにはできなかった」
ちぎれ雲が月を隠し、交差点に佇むアズールノヴァへ影を落とす。
彼女は己の過去を語らない。
しかし、紡がれた言葉の重みから過去が垣間見える。
「…シルバーロータス様は、この地獄を終わらせる唯一の存在」
深い絶望は消え去り、煌々と輝く蒼き瞳。
アズールノヴァが求めていたもの──それは救世主だ。
真価を理解できぬ有象無象に愛される偶像など求めていない。
彼女はウィッチではなく、シルバーロータスを見ている。
「その邪魔は誰にもさせない」
雲を夜風が連れ去り、月が再び顔を覗かせる。
「あの方の担う重責が少しでも軽くなるように」
ソードの柄を強く握れば、蒼きドレスの周囲で燐光が揺蕩う。
「私は剣を振るう」
為すべきことを見据えた瞳に陰りはない。
狂信者と呼ぶべきなのだろう。
しかし、その不純物を含まない強烈な輝きは、息を忘れるほど美しい。
「──レッドクイーン、下がってください」
アズールノヴァの纏う空気が変質する。
その瞳は愚かにも逃走を図るインクブスを捉えていた。
「は、はいっ」
指示に従い、慌てて歩道まで下がるレッドクイーン。
放射されるエナの濃度が急激に上昇していく。
「235番」
夜風を断ち、月光を宿す長大な刃。
アズールノヴァは僅かに足を開き、ソードの柄を頬に寄せて構える。
切先が狙うは、河川敷の堤防。
「限定解放」
蒼の燐光が舞い上がり、旧首都に満天のプラネタリウムを生み出す。
刃の放つ輝きが蒼から銀へと近づく。
「イグニッション」
閃光が爆ぜた。
夜の闇を払い、コンクリートジャングルに光芒が奔る。
それは河川敷の分厚い堤防を貫き──対岸の高架橋を両断した。
かつてウィッチナンバー4と呼ばれたウィッチに射程という概念はない。
蒼き瞳が見える限り、そこは彼女の間合だ。
「ふぅ……」
濛々と立ち上る土煙を眺め、吐息を漏らすアズールノヴァ。
構えを解き、刃が地へと下ろされる。
溶融したアスファルトより火の粉が舞い、照らされる少女の横顔。
「…きれい」
ただ見目麗しいだけではない。
研ぎ澄まされた業物のような迫力を、蒼きウィッチは身に纏う。
その佇まいにレッドクイーンは、ただただ魅入られていた。
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