内山靖二郎先生の作品に出会えて感謝している。
もし先生のクトゥルフ小説を読んでいなかったら、私は……
いつか子どもが手に取る絵本や児童書を作りたいなぁ、と夢見るだけの《絵本読み聞かせのプロ》に過ぎなかっただろう。
私はクトゥルフ神話に触れ、世界の真理という名の窓に手が届いた。
《沼と底なし沼の違い》を知り、《水たまりを跳び越える理由》も変わった。
そして先生の作品を読んだことが、執筆活動を始めるきっかけとなる。
私の見る世界は一変した。ああ、ああ! 知的生命体の想像力が及ぼす影響のなんと恐ろしい事か!
世界を窓際で眺めながら、こうして文章を書いている。私はクトゥルフ小説家の端くれとなったのだ。もう過去に戻ることは難しい。
きょうを生き。あすを生きねば。
先生の道を知った私の後にも道はあり、道は途切れてもよく知った誰かが繋ぐ。大切なのはその道で良かったと、心から言えるかどうかだ。
世界が大きく変わらずに次の朝日を迎えると仮定して、
私はたぶん子どもの成長をただただ見守るに違いない。
いつもの公園へ向かう道で……せがむ子どもの手を引いて。
雨の通り過ぎた水たまりを跳び越えさせながら。