「身体的違い」と「本人の意思を尊重せずに他者が勝手に使う事」は別問題。爺様がそれを学んで血肉とする事が出来なかった事は時代含めた環境の影響とはいえかわいそうに思えてきました。子どもの頃の彼にセレーネのような存在は居なかったのだろうしそこから大人になっていきなり権力を持ったら…重責が原因か他者の心も思いやるほどの器が育って無かったらそうなるかもなぁ。日本でも十数年前に女性を「産む機会」発言した男性政治家がいましたね…さも合理的かのように自分の体でもないのに相手の意思・心・命を尊重する姿勢よりも「オレのかんがえるさいきょう(ドヤ」を先に出す無神経さ傲慢さに呆れました。心を蔑ろにして立場だけで考えるそれですむなら人間である必要がそもそも無い…爺様の教育の根はそれかな?身内にそんな態度なら領民への敬意も尊重もオシテシルベシかなぁ。あぁだから貴族制度って形骸化や廃れた所が多く復活もなかなかしないのかぁ。うーむレオ伯って男としても人間としても上に立つ者としても逸材なのだなぁ