今日も『京都アニメーション』テロ事件の首謀者である青木容疑者の裁判があった。
『作家になれば全ての問題を解決できると思った』と、青木容疑者は公判で語ったそうだ。
小説を書いて四半世紀以上の私は、この言葉を聞いてタイトルの言葉を出しそうになった。
確かに「売れる小説家になりたい」と作者なら誰しも思う。
その根底には自己の存在を認めてほしい、辛い過去と決別したいなどある。
でも、成功できるのはほんの一握りというのが現実だ。
これは声優でも変わらない。
そして、人気作家になればなったで四六時中小説のアイディア出しや執筆などで最盛期になれば寝る時間も削る。
その過酷でタイトなスケジュールにせっかく作家になっても辞めるものも多い。
それを単なる人気職業で楽して稼ぎたいという思いで書かれたら、どんな魅力的な物語でもキャラクターでも可哀想だ。
もう一つは、『完全なるオリジナル』というのはほぼ完ぺきに無理であるということ。
かの手塚治虫でさえ、「オリジナルは模倣から始まる」と語っている。
実際、別のサイトの別の人が「○○の△△は俺の小説のパクリ」というのを見た時、眩暈がした。
――お前のような弱小小説家の真似なんぞ願い下げだぞ
キーを押す寸前まで私はなった。
だから、パクリはある程度はしょうがない。
でも、そこに敬意、リスペクトともいうらしいが、がないと駄目だと思うよ。