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別にね、君が死のうが生きようがこちゃ(こっち)には関係ねぇ

ある「人生は冒険だ」教の親子を私は否定はしない。
ただし、肯定もしない。

私が彼らに望むのは、『学歴社会の日本で掛け算九九も出ないまま大人になった子供と、その親の責任のなすりつけ合い』を見たい。

登校拒否に関しては色々なケースがあるので一概には言えないが、「行かないと色々面倒な話にはなるよ」とは助言したい。

自分は面倒なことを債務(保険金?)と言っているが最初のうちにいろいろ経験や学びを得て社会でそれらを駆使して働く。
それをしないで社会に出れば、仕事仲間とのコミュニケーションや仕事の指示などが滞る。
私は債務不履行と呼んでいる状態だ。

これから先、あの親子が極論、死のうが生きようが、それより明日のご飯をいつ炊くかのほうが重要だと私は考えている。

ちなみに、私は子供の頃に漠然と二十歳辺りで死ぬと思っていた。
でも、今、その倍生きているが、ようやく、「人生は面白い」と思えるようになってきた。

1件のコメント

  • まあ、私的には義務教育が終われば最悪、企画ものの違法DVD に関わると思います。(内容は秘密)

    私の時代は不登校自体が親も学校も禁忌状態で無理やり学校に行っていましたが、確かに大事な機会でしたね。
    そう思えば、学校で小説(「ドラゴンクエスト3 そして伝説へ」高屋敷英雄)を読まなかったら今、私何やっていたでしょうね?

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