セクシーハナコですまない

「2.5周年記念は水着ハナコで行く」

灼熱の会議室で、キム・ヨンハ統括Pが言った。静かに、だが有無を言わさぬ口調であった。

「水着の上からカッターシャツを着せるのだ。それもオーバーサイズの」

誰もが息を呑んだ。それでは暗に彼シャツではないか。
刺激的すぎる。健全でない。これではあっちっちスペシャルどころかえっちっちスペシャルだ。
というか水着ハナコでいいのか。セイアはどうした。水着アツコではないのか。

だが、その異論を声に出すものはいない。

皆恐れているのだ。清渓川の水底を。そこに巣食うピラニアを。
すでに幾人もの同胞が清渓川を真紅に染めた。同じ道を辿ると知ってみすみす歯向かうことはない。

それでいい。どうせ引くのは未成年が恋愛対象の足舐め変態教師共だ。爆乳水着と無料100連で会場が湧くなら、それでいい。

この会議室に、己が命を賭けうるほどのハイレグを着た者はいなかった。

「お待ちください、キム・ヨンハ統括P」

途端、会議室がざわめきに包まれた。
視線の先に立つのは、先月入社したばかりの若手社員。キム・ヨンハ統括Pに相見えるのは、今日が初めてであった。

「なんだ」
「水着は下着とは違うのです。露出して初めて真の価値がある。単にワイシャツの下にしまい込んでしまうのは、然るべき姿とは言えません」

見れば、彼はハイレグを履いていた。

キム・ヨンハ統括Pが小さくため息を吐く。

ゴクリ、と息を呑む音が聞こえた。
また一人、清渓川の水底に同胞が沈むのか。
誰もがそう思った。

「ですから、透けさせましょう」
「なに?」
「シャツを透けさせるのです。そして水着を露出させる。下着ではなく、水着だからこそできることです。そして単なる水着ではなく、シャツを着るからこそできることです。恥ずべきものではない。水着なのだから。隠すべきものではない。水着なのだから。それなのに、邪なものではないはずなのに。シャツの上からうっすらと見えるから、見てはいけないものを見ている気持ちになってしまう。違いますか?」

キム・ヨンハ統括Pがわなわなと拳を振るわせた。

「夏イベ——それも水着イベであれば、濡れることは必至。シャツを着るのならば、透け水着は至極自然な流れです。そもそも、2.5周年という節目で、この水着イベで、ハナコがただシャツを着るだけで満足するとお思いなのですか? 彼女ならきっと、自ら肢体を濡らすでしょう。ホースで水を被りさえするかもしれない。それが浦和ハナコという女であるはずです」

椅子から立ち上がり、若手社員に向かって歩き出す。

「ここで退いて良いのですか、キム・ヨンハ統括P! あなたが目指したブルー・アーカイブの終着点はここではない。水着ハナコはこれから先、遍く性癖の始発点とならなければいけないのです! 何より——」

キム・ヨンハ統括Pはすでに若手社員の眼前まで来ていた。
肩を振るわせ俯くキム・ヨンハ統括Pの表情を、若手社員は窺い知ることができない。

彼が一度指を鳴らせば、若手社員の体はたちまち清渓川の水底に沈みゆくだろう。
だが彼は語る。決して退く事なく言葉を紡ぐ。

若手社員にはゲーム運営がわからぬ。
若手社員は一端のブルアカユーザーである。
ガチャを引き、天井と遊んで暮らしてきた。
けれども濡れ透けに対しては、人一倍に敏感であった。

だから語る。魂の叫びを言葉に乗せる。
もうこれで終わってもいい。だから、ありったけを。

「透き通った世界観で送る学園RPGで、カッターシャツが透き通らないはずないでしょうッッ!!」

曇りなき眼で見定め、決めたのだ。
後悔はない。

キム・ヨンハ統括Pの腕が伸び、若手社員の肩に触れ。
そうして、ゆっくりと崩れ落ちた。

会議室がざわめいた。
なぜ。どうして。
なにが起こったのか、誰一人として理解できていなかった。
小さなざわめきが波及し、やがて気づく。

彼の頬を伝う、その一筋の雫に。

キム・ヨンハ統括Pが泣いていた。
全身を震わせ、嗚咽し、しゃくりあげていた。

「ありがとう……ありがとう…………」

怒りではない。悲しみでもない。
感動。そして感謝。それこそがキム・ヨンハ統括Pが流した涙の正体だった。

「見える、見えるのだ……彼シャツ濡れ透け水着ハナコの姿が……。『いっぱいかけてくださいね♡』とか言いながら私にホースを渡してくる浦和ハナコの姿が……。うぉ、でっか……質感えっぐ……。でも水着だから全年齢とかマ? これじゃあっちっちスペシャルどころかえっちっちスペシャルになっちゃうよ……」

膝を付き呟くキム・ヨンハ統括Pに、そっと若手社員が手を伸ばした。

「顔を上げてくださいキム・ヨンハ統括P。あなた無くして、誰がハナコに水着を着せるというのですか。このままでは、きっと彼女は裸になってしまいます」

キム・ヨンハ統括Pがしっかりとその手を掴み、二人の視線が交差する。

その眼に、もはや涙は浮かんでいなかった。
代わりに浮かぶのは決死にも似た"覚悟"。

「ありがとう。貴方のおかげで私はまだ戦える」

ブルー・アーカイブの統括P——全ての先生を統べる者に相応しい、揺るぎないハイレグが股間に輝いていた。

——そうだ。

誰もが思った。

——これでいいはずがない。このままでいいはずがない。

会議室に立つ誰もが。二人を眺めていた誰もが。

——私たちのあるべき姿は、きっと彼のようでなければ!

かつての己を恥じていた。

「ハナコを実装するのなら、コハルも追加して然るべきだ。黒線の詳細な設定資料を担当から取り寄せさせろ」
「遺産探索ならウイは必須だろう」
「彼女が普段外に出ていないことを表現したい。踵に絆創膏を貼ってはどうか」
「シスターフッドからはヒナタを実装するべきだ。通常衣装とは対比的に、白い水着でギャップを醸し出したい」
「それならつばの広い帽子を被せ、彼女の清廉さを際立たせよう」

2.5周年を演出する者が、清渓川を恐れ口を閉ざしてどうする。
求められているのはイエスマンではない。より良いブルー・アーカイブを目指し、そのためならばキム・ヨンハ統括Pにさえ意見する。

諦めない。それこそが彼らの取るべき本当の選択だった。

誰もが2.5周年に胸を躍らせ、遍く先生のためにと己が性癖で殴り合う。
会議室にいる誰もが、股間にギリギリのハイレグを履いていた。

会議室を見渡し、キム・ヨンハ統括Pは静かに頷く。
その顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。

「あのぉ〜〜」

突然、会議室に声が響いた。

間の抜けた声だった。
不快を汚泥で煮詰めたような、神経を逆撫でする猫撫で声。

胸中に沸いた嫌悪をいなしきれずに、キム・ヨンハ統括Pは声の元へと目を向ける。

視線の先にいたのは一人の弱小作家であった。

「カヨコのASMRはいつ発売されるんでしょうかぁ」

キム・ヨンハ統括Pが指を鳴らすと同時に、推しのASMR販売を請うた弱小作家の肢体は清渓川へと投げ込まれた。

途端、弱小作家の顔が醜く歪んだかと思うと、つんざくような悲鳴と共に四肢が捥げ、清渓川の清流が赤く染まった。清渓川に住まう人喰いピラニアの仕業である。

沈みゆく男を冷たく見下ろしながら、キム・ヨンハ統括Pは静かに言った。

「我欲に満ちた発言は、せめて作品を上げてから口にすることだ」

Wordも開かずのうのうと過ごしていた日和見主義者に明日などないのだ。
清渓川の清流は、今日も赤く透き通っている。

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