【Vittorio(ヴィットリオ) Veneto(ヴェネト)】
・艦として
・艦種:戦艦
・艦級:ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦一番艦(自称) リットリオ級戦艦二番艦(公式)
・前級:カイオ・ドゥイリオ級戦艦
・次級:なし
・建造:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ
・進水日:1937年7月25日
・所属:地中海艦隊
・全長:238m
・全幅:33m
・基準排水量:44,000噸(トン)
・対艦兵装:OTO/Ansaldo-381/50 3連装×4 OTO/Ansaldo-152/55 3連装×4
・対空兵装:Ansaldo-OTO-da-90/50×16 Breda-37/54 連装×20
・対潜兵装:なし
・搭載機:約3機
艦名は第一次世界大戦の激戦地であり、イタリア軍が珍しく勝利を掴んだヴィットリオ・ヴェネトから。人名っぽいが地名である。初使用。
イタリア海軍にとっては第一次世界大戦中に前級のカイオ・ドゥイリオ級を建造してから久しぶりとなる戦艦であり、海軍休日明けに建造された所謂新戦艦の一角である。姉妹艦のリットリオより本艦の方が先に進水、竣工したのでヴィットリオ・ヴェネト級と称されることもあるが、イタリア海軍としてはリットリオ級と扱っている。
主砲の「OTO/Ansaldo-381/50」は「オート・メラーラ社381mm50口径砲」という意味である。50口径という長い砲身を活かして威力は高く、火力は41cm砲にも匹敵するとされる。これを大和やアイオワと同じ3連装3基の砲塔に収めている。副砲としては152mm3連装砲を中央構造物の四隅に配置しており、片舷に2基しか向けられないものの、砲塔形式で使いやすくなっている。
高角砲には他の列強ではあまり見られない単装砲を採用しており、機関砲の数も船魄化されてもなお少なく、やや残念であるが、武装は全てイタリア製で揃えられている。
また水雷への防御として、水線下の装甲の下にナフサで満たされたドラムを入れるプリエーゼ式防御を採用しており、これが圧壊することで衝撃を吸収する構造である。内部の隔壁も浸水してきた水を反対側に逃がす合理的な構造になっている。
航続距離は4,200海里と列強の戦艦と比べて非常に短いが(例えば大和は7,200海里)これはイタリア海軍は基本的に地中海でしか活動しないので、航続距離が必要ないからである。その代わりに重量を防御回すことができている。
総じて、前に戦艦を建造してから長い間があったとは思えない堅牢な設計となっており、海軍国であるイタリアの意地を感じさせる戦艦であり、実際、第二次世界大戦時点においては大和型を除いて最強格と言える戦艦であった。
第二次世界大戦にイタリアが参戦した時点ではまだ実戦投入できる状態ではなかった。1940年11月のテウラダ岬沖海戦では、イギリスの戦艦と砲撃戦を演じて一時優位に立つが、イギリスが空母アーク・ロイヤルを出してくると撤退を余儀なくされた。
1941年3月のマタパン岬沖海戦では空母フォーミダブルの攻撃で中破し、僚艦の援護で撤退に成功するが、イタリア海軍は重巡洋艦を3隻も失ってしまった。1942年はマルタ島を巡る戦いに参戦し、6月には連合国の輸送船団を壊滅させることに成功するも、マルタを落とすことはできなかった。
その後は目立った活躍はなく、1943年9月にはイタリア王国が降伏して本艦は連合国に引き渡され、終戦までスエズ運河に留め置かれることとなった。
第二次世界大戦が枢軸国の勝利に終わるとイタリア社会共和国に返還され、イタリア最初の船魄としてイタリア海軍の中核となった。以降はドイツと対立したり接近したりを繰り返すイタリアの外交を支えることとなる。
・船魄として
・技術系統:伊式第一世代
・身長:172cm
・体重:75kg
・血液型:B型
・髪:灰色
・目:緑
・好きなもの:給仕・マスカルポーネ
・嫌いなもの:足手纏いになること・運河
イタリア最初の船魄であるが、戦後に船魄化されたので瑞鶴やツェッペリンやソビエツキー・ソユーズのように重責を負うことはなく、軍人らしさはあまり見られない。常に礼儀正しく物腰柔らかだが、内面では大戦中にほとんど役に立てなかったことを気に病んでおり、いつも誰かの役に立ちたいと思っている。なお自分がヴィットリオ・ヴェネト級一番艦であることだけは絶対に譲る気がない。