本日の更新で、拙作『地球の娘とウチュウジン』の第三部、秋編が終了しました。
暴かれた大福出生の秘密と、その宿命。
未だに暗躍していた敵との邂逅。
それらを忘れさせてくれる夢の一時と、別れ。
大福とハルの運命がどこへ行き着くのか、全てが終結する冬編は明日から開始されます、こうご期待!
まぁ……実は私、秋編の終わり方に満足していながらも、正直この手の引きってあんまり好きではないんですよね。
これまで何度か近況ノートにも書いている通り、今作は各編で文庫本一冊になるように作っておりまして、秋編も当然、その例に漏れません。
でも、この秋編を手に取って、一冊読んで、この終わり方だったら、ちょっとモヤモヤしません?
有名な『レイニー止め』という言葉もありますが、それはかの有名作だから許される手法であり、続きが明確に存在している終わり方ってモヤモヤを残すだけだと思うんですよね。
それが続きへの興味に繋がることもありますが、拙作のような弱小でやってもモヤモヤのストレスの方が勝つ気がするんですよ。
というか、そもそも私がその手の引きが嫌いなので、あまりとりたくないんですよね。
すっきりと一冊で終わってくれた方がいい、というか、そうであるべきだと考えてすらいます。
別に『魔王討伐を掲げた勇者の物語』を旅立ちから魔王討伐まで一冊に収めろって言ってるんじゃないんですよ。
明確な区切りを作って、『これからも彼らの冒険は続く!』で終わるなら全然良いんです。
でも『強大な魔物が現れた! これから彼らの運命やいかに!?』で一冊終わったら『なんじゃそりゃ!?』ってなるでしょ? そういうことです。
せめてタイトルに前編、後編、って文字がついてればある程度納得も出来ますが、そうでない作品でやられたらいやだなーって。
いや、自分もやってしまったんで、いまさら何を言っても、って感じなんですけど。
拙作は続きが明日すぐにアップロードされるので、ご容赦くださいというお話でした。
それはそうと、秋編の結末――というか大福がどうなったか、ということを理解しつつ学園祭のお話を見直してみると、新たな発見というか『これってなんだったの?』って言うのが解決するかもしれません。
何度かハルが違和感を覚えている会話の流れがあるのですが、それは全て大福が未来について諦めているような雰囲気を出しているからなんですよ。
ハルに『どうにかなる』とか『未来はわからんだろうが』みたいな話をしてた大福が、その日以降のことに関してすっぱり諦めているというのは、ちょっと趣のある立ち回りだなぁ、と思って書いていました。っていう与太話でした。