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設定の使い回しの許容範囲

自分のところに来たことはないけど「設定使い回しすぎじゃないですか?」というコメントが来る人もいるらしい。その、設定の使い回しって、どこまでが許容範囲なんだろう……と思ったから考える。

まず、自分が書いている『パーティーから追放された青年は、世界を救う。』と『パーティーから追放された多重人格の青年は、世界を救う。』は、設定がほとんど同じである。パーティーから追放された青年は、とある別の村に拾われ、そこで様々なアクションを起こしていく。その過程で自身の持つ力の意味を理解し、次のステージに進む。これだけ言えば「設定どころか展開も使い回してんじゃん!」となるかもしれない。それはそう、テンプレも美味しいところだ。

具体的な設定の話をすると、両方に「モンスター」と呼ばれる悪魔の生物が存在し、それらを討伐するための「討伐パーティー」も存在する。主人公はパーティーに所属していた人間で、良くも悪くも討伐者であった。良くも悪くも……というのは、多分本編読んだら分かる。前者は途中からモンスターよりも上の悪魔的な存在と戦い、後者は多重人格として自身について悩み続ける。とにかく、討伐者である点と、モンスターが出る点は類似しているし、何なら同じモンスターも登場する。

でも、実は……2つの小説は同一世界線での話である。前者の主人公〈マイト・ラスター〉の名前が後者に登場することもあるし、前者のラスボスが後者に登場することもある。モンスターの弱点も同じで、特性も何もかも同じである。ほら、こうすれば文句は言われないと思う。

言いたいこととしては、みんな『ダンボール戦機』を観よう。あんまり関係ない

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