近ごろ、多事多端にて更新が滞っています。
楽しみにしてくださっているかたには、まことに申し訳ないかぎりです。
その代わりといっては何ですが、『草原演義』における重要概念のひとつ、「テンゲリ」についての解説をしておきます。
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「テンゲリ」とは?
①草原(ミノウル)の民の信仰の柱である。
②テンゲリはすべてを瞰(み)ている。
③しかし能動的に人界に介入することはない。
④だから志あるものは「テンゲリに替わって道を行う」べきである。
⑤テンゲリに唾を吐き続ければ、天罰があると信じられている。なぜなら「天網恢恢疎にして失わず」だからである。
⑥テンゲリの擬人化として太陽にイメージを重ねた「天王(フルムスタ)」という概念があるが、厳密にはテンゲリ=天王ではない。
⑦よってテンゲリ信仰は、太陽神信仰ではない。
⑧天王もまた本来瞰(み)るだけである。
⑨ちなみにテンゲリの対義語は「エトゥゲン(大地)」であるが、エトゥゲンは特に信仰の対象ではない。
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「第一 三回」では、いかにも天王が主体性をもってインジャにはたらきかけているように見えるが、実はそうではない。
ここでも天王は何ら直接介入はしていない。
天王に会って云々、というのは独りインジャの母ムウチのみである。
つまりインジャですら直にテンゲリや天王と交信する術は持っていないのである。
それは、これまでもこれからもそうで、母ムウチの聖性、特殊性、存在意義は、極端に言えばその一点にあると言ってもよい。
ちなみに、そのムウチといえども自在に天王に頼れるわけではまったくない。
天王の気まぐれで、忘れたころに現れるだけである。
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『草原演義』世界を理解する一助になれば幸いです。
何より次話の更新をがんばります(汗)。