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そういう人生

 小説を書いてたらいつの間にか大人になっていて、そういう人生だったなってこの頃よく思う。シトラスの香りがする柔軟剤が切れて、最寄りのドラストに買いに行ったらなくて、ちょっと遠くのホムセンに行っても置いてなくて、夏季限定だったことを知る。取り返しのつかないことは、取り返しがつかなくなるまで気づかない。そういう人生だった。今じゃもう、好きだった人の匂いも思い出せなくて、ああそういえばあのごっこ遊びはようやく過去になったんだって、遅ればせながら喪失が胸を突いて、少しだけ苦しくなる。そういう人生だったね。
 小説は今でも好きだよ。時々息抜きがてらに書いてる。嘘、大真面目に小説のためだけに時間をつくって、小説のためだけに祈ってる。別に大して上手くもないくせに、数撃ちゃ当たるでたまたま当てたマグレのくせに、とかさ、そういうのは自分が一番よくわかってるから。技巧だって表現だって拙いし、展開だって凡庸。ちょっと突飛なものだって着地は微妙。瑞々しさが素晴らしいって何言ってんのって感じだよ。要するに、子どもの割には上手いじゃんってことですか。拙いなりになんとかやろうとしてるフレッシュな感じがそそるってことですか、とか変に勘ぐって斜に構えちゃってさ。若かったねー。あの頃は。なんて懐かしむことができるくらいになってるのが怖いよ。色々言ったけどさ、そういう過去も血肉にはなってるんだよね。あの夏、自分を繋ぎ止める何か大切なものをあと一歩のところで失いそうになってて、失くしてもいいやって思って、ぎりぎりのところで独りで戦ってた。何のために、とか分からなくて、誰と戦ってるのかもよく分からなかった。意味も分からずただ我武者羅に書きまくってた。鮪みたいに、止まったら死んじゃうような気がしたから。あの夏、完全に走り切って、もういいやって思った。ふっ切れた感じがした。それなのにさ、また始めちゃうの。あんたに出会ったからだよ。結局、書きたくて書きたくて仕方なくなった。あんたが死ぬほど羨ましくて、妬ましくて、殺したくなるくらい好きで、大嫌いだったから。何食ったらそんな文章書けるんだろうって思ってた。他人の心臓を躊躇なく抉り出すみたいな、祈りのフリをした優しい呪い。文字通り魂が震えた。そんなチンケな言葉で表すことが憚られるくらい、私はあんたに惚れた。完膚なきまでに叩きのめしたいって思った。
 それからだよ。あんたの息の根を止めるための言葉が、物語が、脳から溢れ出してくるの。紡いでも、紡いでも、止まりはしない。死ぬまで止めることなんてできないんだって、笑っちゃうほどイカれたサガに気づいた。終わらせるためにやってたことがいつの間にか続ける理由になり代わって、今私を突き動かしてる。――そういう人生なんだ。
 くだらないでしょう。笑っていいよ。いつか絶対、取り返しのつかないことになる。でもあんたなら、そういう人生も悪くないやって言ってくれそうな気がする。甘えかもしれないけど、あんたのそういう優しさに救われてきたから。大人になっても幼稚な嫉妬を拗らせている私にも、美しい顔を見せてくれる、あんたを殺したい。
 またいつか、そういう人生の先で巡り会おうね。
 取り返しのつかないことをしてあげる。
 濁った声も、荒い吐息も、輪郭のぼやけた横顔も、気障な台詞も、お気に入りの言の葉も、指先に宿った微熱も、買い替えた柔軟剤の匂いも、あんたが総て忘れた頃に、殺しに行くから。




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