当時若い私には悩みがあった。
答えを出せず苦しんでいた。
けれど私には信頼できる友人がいて彼はとても頭がよかった。
彼は私の言葉に耳を傾け、一緒に考え、励ましを聞かせてくれた。
それでも浮かぶ答えは甲乙つけがたく、妙案は浮かばなかった。
私は答えを出せずにいたのだ。
振り返ってみると、私は彼の聡明さに縋っていたのだ。答えの見えない道に踏み出すことを恐れて決断から逃げていたように思う。
彼は諭すでもなく、叱るでもなく、ただこう言った。
「ちんこを信じろ―—最後はお前のちんこを信じろ」
不思議と私は頷いていた。
電話越しであったが、確信に満ちたバタ臭い彼の顔が見えた気がした。
もしかしたら彼の言葉がなければ、私が小説を書き続けることはなかったかもしれない。
私はいまも彼のことを信じている。あの日、あの時、何もできずにいた弱さは彼に預けた。
そしていつだって私は私のちんこを信じているのだ。
私のアートは他人様のナニカヲを揺らすだけの爆発力はまだ備えていないのかもしれない。
だが、向き合う気持ち、ピタリとハマったなと感じた瞬間の新鮮な喜びと感動はいつだってビンビンのつもりだ。
つもりだとしか言えないところが私最大の未熟だ。
それでも未熟は挫折の時でも辞め時でもない。
もっと深く高く、鋭くてしなやかに。なによりビンビンであれ。
……ちんこを心だとか感性、夢に置き換えるといい話に聞こえるかもしれません。