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変わることも変わらないことも

恋心を向けられたくない女(リスロマンティック)と恋をしない女(アロマンティックアセクシャル)の百合です。
https://kakuyomu.jp/works/16816700428959302563
ヒロインの一人がアセクシャルなのに性描写ありとなっていることに引っかかる方もいると思うので、先に明言しておきますね。性描写はありますが、アセクシャルを克服して云々みたいな内容ではないです。あんまり言うとネタバレになりますのでこれ以上は言いませんが。
セクシャリティは流動的なものですから、変わることもあります。異性愛者が同性に恋をする物語なんてよくありますよね。あれの逆も現実ではあり得ることだと思います。それを描くこと自体は差別だとは私は思いません。ただ同性愛は間違いであり正すべきだと本気で思っている人がまだまだ沢山居る世界ですから、描き方には細心の注意を払う必要があると思っています。
アセクシャルに関しても、色々な偏見があります。「いつかは分かる日が来る」「その年で恋愛経験がないのは人としてどうなんだ」などなど、変わることを望まれ、プレッシャーに感じる方もきっと少なくはないでしょう。私は当事者ではないので、あくまでも想像なんですけども。
私個人の意見としては、恋愛も性行為も義務ではないわけですから、したくないなら無理にする必要はないと思うんです。
これは何度も繰り返し言っていることですが、セクシャリティというの流動的なものですから、変わることもあります。ですが、変わらなければいけないものではありません。
セクシャリティが変わることと変わらないこと、どちら片方が正しくてどちらかが間違っているわけではなく、どちらも正しいのだと私は思っています。セクシャリティが変わる人の中にはマイノリティからマジョリティ側に変わる人もいます。(例えば同性愛者が異性に恋をするとか、恋をしない人間が恋をするとか)が、それを「裏切りだ」と思う人もいるんですね。例えば、異性を好きになった同性愛者やバイセクシャルを「ファッションレズ(ゲイ)」と呼ばれたりすることがあるんです。
私がセクシャリティが変わる物語をわざわざ描きたいと思う理由はそこにあります。変わることを責める権利は誰にもないということを訴えたいんです。
ですが、私は描きたいのはあくまでも、セクシャリティが変わることを"肯定"する物語です。
変わることを"推奨"する物語ではありません。そこだけは絶対に誤解されたくないので前書きや近況ノートで意図を示したり、度々SNSで発信したりしているというわけです。
長々と語ってしまいましたが、そんなわけで私はこれからもセクシャリティが変わらない物語はもちろん、変わる物語もたくさん描いていきますよという宣言でした。今回の新作は前者です。変わらないことを肯定する物語となっておりますのでよろしくお願いします。

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