◇ 宮崎駿監督の新作映画「君たちはどう生きるか」
この映画は僕もそうですが、かなり分かりにくい映画と言われてますが、盟友の高畑勲監督の「火垂るの墓」に比べると、かなり分かりやすい。
岡田斗司夫の宮崎監督の映画解説や色んなエピソードを聞いている人には実はかなり分かりやすい映画にもなっている。
今までの宮崎監督の映画は表層の分かりやすいストーリー(子供向け映画のため)と、その背後の深層のストーリーが存在していた。
今回の「君たちはどう生きるか」においては、闇夜が多用され、高畑監督の映画に近づいてる。
例えば、鼻が極端に大きい青鷺は手塚治虫の人物像が盛り込まれているとか。
手塚治虫のキャラとして鼻が特徴的な人物がよく出てくる。
13個の石は宮崎監督のジブリ映画の作品数に対応するとか。
インコ大王は作品の事が良く分かってない息子の宮崎吾郎監督だとか。
これは僕の解釈だが。
物語の前半の疎開の話は、宮崎監督が宇都宮に疎開していた体験や、実家が金持ちで戦闘機の風防を作っていた事実が盛り込まれてるとか。
そういう事が見えてくると、いろいろと物語を解釈できて、この作品は俄然、面白くなってくる。
こういう無限の解釈を他人と話したくなる。
この解釈で合ってるのか?確認したくなる映画になっている。
◇ 細か過ぎて伝わらないマイナンバー短歌
ここで、僕のマイナンバー短歌のちょっとした裏設定の話になる。
マイナンバーをマイナンバにするのはちょっと疑問である?という感想をもらったのだが、これは「マイナンバ」で正解なのだ。
これは高齢者の作者が「マイナンバ」と訛って発音してるのですw
これは僕がかなり高齢者に近づいてるので、そういう表現が生まれたのですが。
こんな細かい設定は誰にも伝わらないと思うが、小説家の性としては、そういう隠し設定を盛り込みたくなるのだ。
それも小説を書く楽しみのひとつであり、それが伝わる読者がいたら嬉しいなという話である。
宮崎監督や高畑監督は伝わる人には伝わる暗喩を映画に盛り込んだり、元ネタそのものを引用というか、分かる人には分かる表現として入れている。
これってクリエーターの性というか、俳句や短歌の世界も、「本歌取り」というものが前提で、歌を詠んだりしますよね。
これは全てのクリエーターや表現者の心理のひとつだと思います。
※本歌取(ほんかどり)とは、歌学における和歌の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%AD%8C%E5%8F%96