まだらのユーキ第20話『阿弖河荘の悪党』、ご覧いただけましたでしょうか。鎌倉時代を混乱に陥れた悪党と、若き首取りマシーン結城宗広が、いよいよ魔界で激突します。日本でやってくれ。
さて、今回更新分の話は、尺の都合でいろいろと話をはしょりましたので、疑問点やわからない点が多数あったと思います。わからないままでも本編にはまったく影響がない情報なのですが、気になる方もいらっしゃると思うのでここで補足しておきます。
なお、情報源はgoogleの検索窓にキーワードをぶちこんで出てきたホームページや出所の分からない論文です。まったくアテになりませんので、全部創作だと思うくらいの気楽さでご覧ください。
【みんな貧乏】
本文中では異常気象による不作、貨幣の流通による経済の混乱、土地の分割相続による収入の減少を理由に挙げていましたが、ちょっと補足。
鎌倉幕府と契約している武士、いわゆる『御家人』には、幕府に『奉公』する義務があります。歴史の授業で習った『御恩と奉公』の奉公ですね。
この奉公は、戦争で戦うことだけでなく、鎌倉や京都の警備や、公共行事を行う幕府への献金も含まれていました。
さて、幕府の公共事業はいろいろありますが、京都の朝廷の行事や寺社仏閣の修理、建築などもあります。そしてこの時代、尋常じゃない異常気象のせいで寺社仏閣がたくさん破壊されました。
幕府はそれを直しますが、そのための費用は各地の御家人から徴収します。もちろん、この時代の予算の概念など存在しません。必要になる度に御家人に「これくらい払え」と命令します。
つまり、ただでさえ不作で収入が厳しいのに、臨時の支出まで負担させられるわけです。お陰で貧乏は加速しました。
関東の名門御家人である千葉氏ですら、「あの……今年は大番役があるんで勘弁してもらえませんか……」と泣きを入れるほどでしたから、普通の御家人の家計はかなり厳しかったでしょう。
【阿弖河荘】
あてがわのしょう。何だか架空っぽい名前ですが、実在します。紀伊国、今で言う和歌山県にありました。山奥だけどそれなりに広く、良い材木が採れる土地でした。
【湯浅氏】
これもまた実在します。一族は紀伊国全体にゆるく広がって、各地の地頭職などを務めていました。人名も一応、実在したらしい人物からそのまま取ってきています。
本編中で暴れ回った宗範は何をやったかわかりません。歴史の闇に消えたみたいです。弟の宗親の方は、ちょっと有名。後述。
【裁判】
世紀末じみた語られ方をする鎌倉時代ですが、むしろこの頃から裁判の概念が全国的に広まっています。『本当の相続人は俺なんだ!』 とか『村の境は実はここまでだったんだ!』とか、いろいろやっていますし、幕府もちゃんと調べた上で判決を出してします。
判決に従うかどうかは……被告と原告の力次第ですが……。
【し、死んでる……】
二月騒動。執権・北条時宗の命令で、北条時輔、名越時章、名越教時などの北条一族庶流が皆殺しにされた事件です。
北条時輔が立てこもった六波羅は炎上しました。裁判記録もほとんど灰になったと思います。この後の六波羅探題も急死したりクビになったりしたので、係争中の裁判は大混乱になったのではないでしょうか。
【暴力が蔓延する阿弖河荘】
どっからどう見てもありえないんだけど、困ったことに元になる事件がある。何だこの時代?
1275年、阿弖河荘の農民たちが地頭の乱暴を荘園領主に訴え出た。
その訴状によると、『荘園領主に納める材木を伐りに行こうとすると、地頭が畑に麦を撒けという。さもなくば妻や子供を牢に入れ、耳を切り、鼻を削ぎ、髪を切って尼のようにし、縄で縛って痛めつけるぞ、と脅してくる』、ということであった。
日本史の教科書や資料集で見たことある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。地頭の横暴の代表例として扱われている史料です。この時の地頭が湯浅宗親。本編中では、宗範が宗親の名前を騙って働いた悪事だということになっています。
ただ、荘園領主の寂楽寺も曲者で、地頭がいるのに預所(あずかりどころ)を自称して税の材木を徴収しようとしたり、人攫いまでやってたとか。また、1275年の訴訟も初めてではなく、それまで何度も寂楽寺が農民を扇動しており、ブチ切れた湯浅宗親が六波羅に訴え出た、なんてこともあったそうです。
裁判の結果は残っていませんが、この後も湯浅宗親は地頭であり続けました。一方、寂楽寺は荘園の権利を金剛峯寺に渡しています。恐らく宗親の方が勝ったのでしょう。
しかし湯浅宗親が無実なら農民が扇動に何度も乗るようなこともないので、本編中ではどっちもどっちという形にしました。どうなってんだこの土地。
【急に出てきた金剛峯寺】
これまた史料はある。
平安時代、阿弖河荘は高野山のもので、ちょっと手違いがあって寂楽寺に渡ってしまったようです。それから300年、金剛峯寺は何度も朝廷に訴え出ましたが取り返せないまま鎌倉時代後期まできてしまいました。
本編のように、金剛峯寺が湯浅氏と寂楽寺の争いで暗躍した、という事実はありませんが、やっててもおかしくないなということで、歴史の闇に消えた宗範と合わせて創作しました。
前述の通り、裁判の後に荘園の権利は寂楽寺から金剛峯寺へと渡りました。それから金剛峯寺は、残った地頭の湯浅氏を排除するために、何度か幕府に訴え出ています。しかし、その成果が実ることはありませんでした。
鎌倉幕府が滅びたからです。
【別に悪党出すのにここまで史料と描写は必要なくない?】
おっしゃる通り、悪党を魔界に送るには、『湯浅宗範。日本からやってきた悪党である』の一文で済みますが、ここでしか張れない伏線があったので……。