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71話投稿のお知らせ※前回のあらすじあり

『東海の覇者、桶狭間で没落なれど』
71話【名門の衰退】を投稿いたしました。

近況ノートの投稿のお知らせなんですけど、ここ数日続けていて書き方を1つ確立してみようと思います。
せっかく戦国時代を題材にした投稿をしているので、毎回大名だったり武将1人の好きなエピソードを書いていこうと思います。それが実際にあったかどうかは考えず逸話として現代に受け継がれているというものも書きます。
前回は竹中半兵衛だったので、今回は誰にしようかな・・・。近況ノートにコメント頂けたらその人物の紹介でもしますね。
今回はこの人“今川義元”。この物語の大元になる人物ですね。

【今川義元】
義元の前に今川家の当主だったのは、今川氏輝という人物でした。この人、義元の兄です。しかし突如氏輝と次男であった彦五郎が死んでしまいます。そこで次期当主に名乗りを上げたのが、五男ではあったものの正室の第三子であった義元と、三男ではあったが側室の子であった玄広恵探だったんですね。今川家を二分した両者の争いは後に花倉の乱と呼ばれる内乱に突入しました。
勝ったのは義元で、そのまま割れた今川を掌握し東海の覇者として君臨したのです。
しかし最期は桶狭間で織田信長相手に負け、討ち取られるというわけですね。

本当はもう1つ書きたいエピソードがあるんですけど長くなるのでお終いです。
では前回のあらすじのコーナーにまいりましょう。


70話【西美濃の実力者】より

公方である足利義輝からの織田征伐を拒否することを決めた美濃斎藤家。竹中半兵衛が公方の使者であった進士晴舎に対して働いた無礼は、援軍として美濃へと行軍してきている朝倉景健と六角義治を穏便に国に返すことだった。
西美濃を任されている竹中半兵衛は、その他西美濃の実力者である安藤守就・稲葉一鉄・氏家直元らとともにとある計画を進めていた。
美濃は今後どうなるのか。この戦国の世を誰が生き残るのか。
畿内・尾張・美濃はそれぞれの思惑の元、不安定なものへとなっていた。



ではまた明日、この時間にお会いいたしましょう。

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