• 歴史・時代・伝奇
  • 異世界ファンタジー

【信長とドラゴン】織田信秀の官職名を「備後守」から「弾正忠」に修正しました

 
 信秀は天文十八年十一月発給の判物で「備後守」を称していますが、それ以前の発給文書や古記録では「弾正忠」と記されます。
 信秀がいつ頃まで「弾正忠」であったか明確ではないですが、天文十八年四月の伊勢神宮禰宜の日記に「弾正忠」に贈り物をしたことが記され(苗字が記されないこの「弾正忠」は神宮との関わりの深さから織田信秀と考えられています)、天文十七年三月付けで北条氏康が「織田弾正忠」に宛てた書状が内閣文庫に所蔵されています。
 信秀の官職名が「備後守」に変わったことを氏康や神宮の禰宜が知らずにいた可能性もありますが、この物語の天文十六年時点では信秀は「弾正忠」であった可能性が高いと考えました。
 
※参考文献:
『今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝』(村岡幹生)
愛知県史研究15巻(2011年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aichikenshikenkyu/15/0/15_1/_article/-char/ja/
 
『織田信長の系譜 信秀の生涯を追って』(横山住雄)
濃尾歴史研究所(1993年)
 

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する