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終戦の日

まもなく15日の終戦の日を迎える。75年もの歳月が経過している。四分の三世紀の時を刻んでいる。今著している大東亜戦争はまだマレー作戦の最中。終戦までまだまだ先が長い。元々何年かかかってあらましをまとめていたが、定年退職した機につけ、本格的に
書こうと思いたったのが今現在である。再度調べ直しながらなので、結構時間を費やすことは覚悟がついてきた。
合わせて、幕末から明治にかけての数十年をも執筆している。こちらも膨大な資料と奮闘中である。日本語との格闘もある。たかが百数十年だが、そこには日本語の変化もある。
漢和辞典との睨みあいもある。つくづく日本語は難しい、が、漢字を見るとそこには人の伝えたい思いがあることが判るのも、興味深いことではある。
大東亜戦争では、多くの日本人の血を流した。その血は尊いものである。あの戦争はするべきでなかったと、いう意見は多い。だが、戦争とは、後世の批評はどの様にでもできる。だが、戦国時代であれ、昭和の時代であれ、その時は指揮官の命令に従い、戦う事に異論を挟むことなく、命を家のため、国家の為に捧げる形となった事には間違いない。そこに悲劇があり、人間として考えさせられる事象が生起するのではないだろうか。それで命を捧げた者を否定してはいけないと思う。彼らにも当然夢があり、それを叶えることなく死んでいったことを考えると、その人生それから眼をそらしてはいけない気がする。人は誰もが一生懸命生きる中で何かを果そうとする。しかし、全員がその思い通りにはならないことが多い。挫折しても立ち直る人、挫折したままの人、その人の様をこれらの中で見つけ指標とすることも大切である。
私自身もその書き記す中で、彼らの生き様、死に様を見出し、後世の日本人に残していく何かが見つけられたら良いと思います。
人生は長いようで、走馬灯のように過ぎ去るのも早い。私自身もその何かを見つけ出すために人生を歩んでいるが、楽しく生きていくことも重要である。今書いていることはその一つでもある。

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