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小説「クリスマスの奇跡 新生した子ども達の四国村の独立誕生」

https://note.com/provida0012/n/n24e99bd5234b
 四国村は、軍事帝国主義の天皇制の嘘から独立し、新しい国を建国する。平和の君が君臨し、平和主義の民のみが暮らす島が、世界に新しい文明をもたらす物語。

 建国において、重要なのは、悪霊との闘いに勝ち抜くことができる祈りの人の結束。真理のみに従う、聖霊に導きに従うことができるリーダーや教職者たち。

 コミニティの基本法のグランドデザインを描いていた安音のもとに、聖霊が下り、この啓示が下る。

「全ての人は、かつては胎児であった。胎児は母親とのつながりの中で命の糧を得ており、この命のつながりを失うと生存すら不可能である存在である。共存共栄の中、愛された胎児は成長を遂げ、家庭に迎え入れられる。人は受精の瞬間から、父と母との最初の共同体の始まりを体験する。人は、初めから一人で生きているのではなく、人と人との間の関係性の中で、生かされている存在である。つまり、受容しあう関係性の中に、共存共栄の中に、生かし生かされあう関係性の循環の中に、人間存在としての本来の姿がある。これは、普遍的な自然法であり、絶対の共同体の原理として実存している実態である。人は、この原理を見失う時、その生命の輝きを見失う。

 さらに、全ての人や命ある存在は、創造主によって造られ、いのちを与えられた存在である。なぜなら、自分の髪の毛の数も内臓の構造も自分自身の本質的ないのちの姿そのものも自分の力で作ったものではなく、創造主と自然法則によって、与えられたものだからである。これも、共同体の絶対的な原理原則を持たない国家の法律は、人間の知恵の範囲内の制定法であり、愚かさを秘めている。善悪をお定めになることができる存在は、生きて私たちの命の上に君臨している創造主以外にはないという原理を見失ってはならない。

 人間思想の理想主義ではなく、現実主義の立場の立つこと。リアルな現実をありのままに認める立場を持ち、かつ、存在論を究めることによる、客観的な現実を互いに認め合う本物のリアルを基礎理論とする。人々の理想の姿には多様性があり、価値観は多様であって良いからである。宗教の自由や思想信条の自由は尊重されなければならないが、自己と他者、共同体のそれぞれの自由がある以上、意見の相違を尊重しつつ、統合する必要があるのだから、現実主義と理想主義の折り合いを測る必要があることを相互承認する必要があることを認め合うことができるかどうか、つまり、対話による止揚や昇華を目指す。世界戦争を防止する観点からの考察を深めたE.H.カーは、「軍事力、経済力、意見を支配する力」のバランスが現実主義の各国の国家力の分析において重要であると説く。

 次に、人類史における国家の憲法法体系や制定法、教会法の原理などを紐解くことによる、矛盾点について、述べる。

ホッブスが述べるリバイアサンにおいて、信約の有効性は、人類共同体の仲間との約束において、自己利益を確保する上でも有効性がある時に、社会契約される。彼は、「人間は、平和の獲得と、それによる自分たちの保存のために、
1.平和を求め、それに従え
2.人にされたらいやなことはしてはいけない
「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明である。現代の欧米において「黄金律」と呼ばれるものは、イエス・キリストの「為せ」という言葉を引用していることが多い。

また、黄金律の派生として、白銀律(Silver Rule。「自分がされたくないことを人にしてはいけない」)

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