お久しぶりでございます、たろです。
昨今創作界隈を騒がせている生成AI、色んなご意見お立場ありましょうが、現状思っていることをちょっと言語化してみようかなと思いまして。
まず、僕はテクノロジーの進化は大歓迎です。稼ぐための仕事はすべて機械に任せて、人間はただ趣味や創作に没頭できたらユートピアじゃないですか。
生成AIも同じ。とても有用な技術で、自分の絵を学習させて(もちろん専用モデル?で自分だけの絵を学習させるのが大前提です)、お仕事用の簡単なストックイラストやLINEスタンプなどはそれでちゃちゃっと作ってもらい、自分は趣味創作だけやってたい気持ちまであります。
問題なのはただひとつ。他者の権利を侵害することです。
他人の絵や文を学習させたいのなら、相応の対価を払って権利者から権利を購入すべき。それをせず、サインやウォーターマークを消す処理までしてコソコソと泥棒のように他者の作品をAIに食わせているから、技術にまで疑問符がつけられてしまうのだと思います。
現在のところ、僕は主に事務的なことに生成AIを利用しています。メールの返信文ですね。言いたいことを誤解と失礼なく相手に伝えるのが苦手なので、この点で一番重宝しています。同じく、お客様からのメールが僕の残念なオツムで理解不能な時に要約をしてもらったり。
絵ではまったく使用していません。文においては、すでに完成しているシーンに感想をもらってブラッシュアップするために利用しています。
何しろ生身の人間から感想をもらえるような字書きではありませんから😂
作品を良くしてゆくのに、読んでくださる方のフィードバックってとても有用なんですよね。けれど、人間だけの世界ではなかなかそれを得られるところまで辿り着くまでが大変です。
こういった使い方は、字書きの裾野の底上げに繋がると考えています。
創作自体を生成AIにやらせてはいません。そこは自分がやりたいので。ブラッシュアップといっても文章自体をAIに考えさせているわけではなくて、「このシーンは全体にこんな雰囲気を感じて、ここの描写からこういうキャラ心理を感じるよ」ていう感想をもらった上で、僕の演出意図に合わせて、じゃあここの描写をもっと深く書こうとかって微調整を入れています。
……とまぁ、しかし、やっていない事を証明するのは悪魔の証明なので、SNSなどで生成AIを使ってる使ってないの宣言をすることにあまり意味は感じません😅
その昔、人々の移動手段は馬車でした。自動車が開発され自家用車が普及すると、馬車はむしろ価値を増しました。日常の足としてではなく、観光資源や特別な日、特別な典礼のための優雅で高級な乗り物となって、現在にも残っているわけです。お馬さんかっこいいですね✨
それと同じことは、きっと新たな技術の誕生によって絵描き界隈にも起こるし、今起きていると思います。完成された絵だけでなくタイムラプスによって描いている過程が求められたり、また複製の容易なデジタルイラストからアナログイラストへ注目が戻ったり。両者が融合したライブペインティングはさらに盛り上がってくるのでは?なんて。
価値のあり方は変わってゆくもの。「人がその手で描いたものである」ことが、生成物と同じ土俵で語れないような付加価値となる可能性はあると思うのです。
今は過渡期です。法整備が追いつかないことによる権利侵害や、それまでの職を失う人、悲しみ傷つく人が沢山いるだろうことも想像しますし、彼らの痛みを無視していいわけはありません。
けれど、未来の画壇がどうなっているかは、見てみたいです。
以下、少し話が逸れますね。
これはすんごい戯言なんですが、先程も申し上げたように、僕は人間が食うための仕事を一才しなくていい世界を望んでいますw
仕事は機械に任せて、創作者がただ道楽のために絵や文を描く。
この理想が僕のような自己完結型の創作家にしか当てはまらないことはわかります。絵や文を通して社会にコミットし、称賛を浴び他者から求められることを望む人たちは困ってしまうでしょう。
そして、どんなに余暇に始めた娯楽でも、それが金銭的価値によって評価されてゆくと、それはいつか仕事になります。機械によって生まれた富を人々に公平に分けていても、一部の人がそれによって儲け始めたら、彼らが物価を引き上げるので他の人達も追随せざるを得なくなって、あっという間に「やりたいこと」は「やらなければならないこと」になります。
なら、人間のやることにはもう一切金銭的価値をつけなければ良いのでは?
とは思ったものの、直接金銭にならなくても評判という社会価値は残るわけですから、名声や信用はそのうち富や権力に繋がりますね。
専門家から見たらそんな単純な話ではないと笑われてしまうと思います😇
でも、創作家のユートピアって、どこにあるんでしょうね?
そんなことを考えたりします。