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戦国武将

 我が家に真田幸村が君臨するようになってしまいました(^_^;)
 真田幸村ハット、アイディアですよねぇ。

 詳細は拙作エッセイ「日々是笑日」にて。

24件のコメント

  • おお!これは確かに少年心をくすぐりますね(*ˊ ˋ*)カッコイイ!
  • そうそう、段ボールで甲冑が作れるそうですよ。
    どこかの自治体で盛り上がってたような気がします。

    小学生が親といっしょにつくって、それを着て登校する日があるそうです。親が本気になるので、めちゃめちゃクオリティ高かったです。
  • これは大人でもワクワクしますね!
    立派な兜でかっこいいです。
    槍や刀も欲しくなりますね✨⚔️✨
  • つきの様

    息子が買っちゃったんですよ〜。家でずっと被ってます(^_^;) すっかり戦国モードです!

    澄田こころ様

    段ボール甲冑! 楽しそう✨ その登校日、見たいですねぇ(*´艸`*)

    江山菰様

    すごいアイディアですよねぇ。息子はこれ被って公園で遊んじゃいました(^_^;) 家ではこの兜と100円ショップの刀で武将になってます(*´艸`*)
  • コメント失礼いたします。

    僕も歴史が苦手なんです。
    地理も。
    社会科が全般的に苦手です。笑

    自分のおこづかいを2000円もだして、
    このハットを買うとは、
    ハードな戦国武将ファンですね。
  • 烏目様

    わざわざコメント頂きありがとうございます✨
    烏目様が歴史苦手だなんて、意外です! 私は割と好きだったんですが、加齢と共に記憶力が低下し、息子の戦国クイズに全然ついていけません(´;ω;`) 息子が戦国にハマってる間に、いろんなお城見に行けたらいいなと思います。
  •  これが三千円ですかぁ〜。

     並み居る武将の中から、真田幸村をチョイスは渋いですねぇ。
  • コメントありがとうございます✨
    息子の本命は本多忠勝らしいのですが、さすがにありませんでした(^_^;) 57回の合戦を無傷で生き延びたらしいです。凄い人がいるものです。
  • 近況ノートにコメントありがとうございます。

    小黒はですね、これから形態をいろいろ変えていきますので、お楽しみに。怖くもかわいくも、かっこよくもなりますので(笑)

    そして、「姫君と侍女」を息子さんと話し合っていただいたなんて!
    うれしいです。うちの子供たち、二人とも読んでませんよ。
    でも息子さん、内容は理解できたでしょうか……

    人によっても大人でも難しいと言う人が(ちなみに、私の親戚)いましたので。

    どうぞどうぞ、なんぼでも書いてください。宣伝にもなりますし(笑)
  • プラナリアさん、近況ノートから失礼します。

    満を持して、プラナリアさんに『カクヨム作家さんに聞いてみた』にご登場いただきたいのですが、インタビューをお受けいただけますでしょうか。
    お仕事やお家のことでお忙しいとは存じますが、ご検討いただけますと幸いです <(_ _)> 読みにまいりますので、こちらにお返事いただければと思います。よろしくお願いいたします。

    イカワ ミヒロ
  • プラナリアさん、
    お返事ありがとうございました。細かいお心遣い恐縮です。
    もちろん本気ですとも! 順番は遅くなってしまいましたが、プラナリアさんは最初にインタビューしよう! と思った方の一人です。
    お時間はかかっても構いません。質問を少なめにすることもできますし、もしくは、プラナリアさんがよろしければ SKYPE のようなもので対話型のインタビューにして、録音したものを文字起こしする、というような形にもできると思います。そうすれば、1 時間だけお時間を頂く形で終わると思います。
    どちらが良いか指定していただいて、方法を考えようと思います。よろしくお願いいたします。
    イカワ
  • プラナリアさん、
    返信遅くなってすみません <(_ _)>
    これまでの作家さんとの通信方法はいろいろです。最近は皆さん元ツイッターをされているので、ツイッターでプライベートな通信を介してやりとりしています。身元の安全性を考慮するならお互いの近況ノートを介するのが一番安全だと思います。メールでももちろん大丈夫ですが、少しでも不安を感じるようであれば、近況ノートを介することをお勧めします。
    イカワ
  • プラナリアさん、
    それでは近況ノートを通じて質問を送らせていただくようにします。また、質問がまとまりましたらご連絡しますね。よろしくお願いいたします <(_ _)>
  • ごめんなさい。今ちょっと体調崩してまして……。次の週くらいに復帰する予定です。質問はしばらくお待ち下さい <(_ _)>
    お待たせしてすみません。
  • プラナリアさん、
    連絡が遅くなってしまって大変失礼いたしました……。
    ストレスから不調に陥った挙げ句、コロナっぽい風邪にまたやられてしまい、やっと回復してきたところです。長々とおまたせしてすみませんでした。やっと質問をお送りいたしますが、年末年始で超お忙しい時期…… (- -;) なので、お返事はいつでも結構です <(_ _)> お手隙の際によろしくお願いいたします。

    まずは定形の質問からお願いいたします。Q1 のペンネームについては、エッセイで説明されたいらっしゃったとは思いますが、今一度お答えいただけると幸いです。

    Q1 「プラナリア」というペンネームはかなり珍しいと思います。ちょっと不思議なペンネームの由来を教えて下さい。

    Q2 小説はいつ頃書き始めましたか? 子供の頃から創作がお好きだったのでしょうか? 何かきっかけがあったのでしょうか?

    Q3 カクヨムに投稿しようと思ったきっかけはありますか? なぜカクヨムだったのでしょう?

    Q4 『顕微鏡』について
    『顕微鏡』はとてもデリケートな作品だと思います。場面緘黙症なのか、教室では誰とも交わらない御手洗真。自律神経失調症で学校を休みがちな木原千津。そんな彼らを思いやりながらも、教室で浮かないように手を差し伸べきれない主人公の遠矢泉。十代前半の少年少女にありがちな残酷さと彼らなりの社会的グループの作り方、その枠組みに嵌りきれない者たちのあり方と扱われ方などを、するどい観察眼を持って、しかしとても繊細に描いています。
    このお話を書くにあたってのテーマや、伝えたいことがあれば教えて下さい。

    Q5 『顕微鏡』に出てくる十代の人間関係のあり方がとてもリアルです。リアル過ぎて読んでてつらいくらい笑 これは……実体験に近いんでしょうか?

    まずはここまででお願いいたします <(_ _)>

  • プラナリアさん、ご心配をおかけしてすみません。コメントありがとうございました。

    本当、東日本大震災以来、だいぶ揺れましたが、橙は、屋外の掃き掃除をその後も続行させておりました。大丈夫です。

    インフラも、此処は大丈夫です。
    ただ、家の中のいろんなものが落下してたのが後でわかって片付けが少々大変でした。
    石川県や富山県の方々は、特に、今夜は気が気でないと思いますが、何事も無いように祈るだけです。
  • こんばんは。
    ご来訪頂けて嬉しかったですよ、ありがとうございます。
    時間を置いて感想を書かせて頂きたいという時がありまして、ご著作がそうでしたので元々書かせて頂きたかったのです。
    基本的にお星⭐さまを送らせて頂きましたら「とても素敵なご著作でした!」なのでそう感じて頂けましたら幸いです。
    これからもどうぞよろしくお願い申し上げます!
  • プラナリアさん、
    最初の回答ありがとうございました。お忙しい中、迅速な回答を頂きありがとうございます!

    Q6
    Q4 の回答が少し意外でした。プラナリアさんは「わからない側」だったんですね。「当時私が感じていた「『みんな』が分からない」「『当たり前』が分からない」という違和感や閉塞感が核になっているのだと思います」とありましたが、具体的にどんなときにそれを感じていたのか伺ってもよいでしょうか? 分からないながらも、みんなの中に溶け込んでいなくては、というプレッシャーがあったということですよね?
  • 前回の質問が答えにくかったらすみません。
    私は保育園の頃から集団生活が苦手で(会社は大丈夫ですが、学校がダメ)、たくさん人がいると処理しきれなくなってシャットダウンしてしまうんですよね。だから友達もグループになってしまうと合わせることができなくて、友達はクラスに一人いれば十分でした。そういう意味では、よく「変だね」と言われていて「普通」に憧れたのですが、同時に「みんなと同じ」になることに強烈な反発を感じていました。
    泉ちゃんの「バランス、バランス。バランス崩せば、落っこちる。」(第一話『教室』)という言葉は、泉ちゃんの「みんなの中に溶け込んでいなくては」という強い意識を感じさせます。泉ちゃんが「落ちてはいけない」と思っているのは、このいわゆる「普通」の括りですよね。別の言葉で言うと「同調圧力」というか……。
    顕微鏡を読んでいると、豊臣秀吉から徳川家に続く天下統一の文化って今日の日本にも脈々と引き継がれているんだなあ、と感じます。天下統一を実現するには、横並びを重視させ、出る杭を打つような社会的枠組みを浸透させなくてはなりませんよね。これは武家諸法度の制度だけではなくて、社会階級ごとに髪型を決めたり、裃を着けさせたりといった、日常的な慣習にも及んでいます。現代日本の学校で制服のスカートの長さを測ったり、髪の毛が肩に着いているか調べたりって、天下統一がそのまま生きてるんだなと私は思っています。
    その中で、千津ちゃんや真くんのような子供が生きていくのは大変だろうな、と思います。多分、私が子供だった頃より今のが大変そうな気がします。ただ、同時に泉ちゃんの「落っこちてはいけない」という恐怖はどこから来るのだろう、とも思います。
    最初に申し上げたように、私は「普通」からの落ちこぼれでした。先生からも「友達が少ないようだ」と心配されましたが、落っこちていてもあまり不便はなかったように記憶しています。私のクラスにも真くんのような子がいて、猫の死体ではなかったものの、似たようないじめもありました。ただ、必ず「やめなよ!」と言う誰か(自分を含め)がいました。誰もが仲良くとはいかなかったし、いじめも確かにあったけれども、それに対する抑止力もある程度は働いていたように思います。その違いが、天下統一感が薄れていた土地柄のせいなのか、時代のせいなのか、落っこちていてもよくわからずに過ごしてしまった KY 力なのか、ちょっとわからずにいます。家族にこの話しをしてみたら、「KY 力だよ、絶対」と言われたので、確かにそうかもしれないとも思います。
    『破壊』の石崎くんと同様に、勝ち組に居てもその地位が安泰とは限らないケースも見てきました。クラスの華やかなグループに属していた女子が突然一人でお弁当を食べ始めたりして、「普通」に属しているように見えても、多分一人ひとりは何らかの違和感を感じながら「普通」の中にいるんだろうなと感じました。そう考えると「普通」に属している意味は何なのだろうかと思います。
    前回の質問は、こういう背景のもとに質問させていただきました。もし、答えたくないなどあればおっしゃっていただけるとありがたいです。
  • プラナリアさん、

    自分はせっついたくせに、私からの返信が長引いてしまってごめんなさい。もう、考えてると質問にならないんですよ。自分の考えがいっぱい出てきてしまって。だから、今回はインタビューと言うより、単なる文通をしていると思っていただければ幸いです 😖

    おっしゃっていたように「10代前半って、みんなと同じ(チャム)、ということが大事な時期で、そこからそれぞれの違いを尊重できる時期に移る、というのもあるのでしょうが。」は確かにそうですね。まずは個人としての成長が始まり、将来、成人として社会的な集団行動をとるための学習がなされる期間なのかもしれません。そのために「まわり」を意識し始めるんでしょう。
    (すいません、チャムってなんですか……?💦)

    お話の中で「バランス」を考えられる泉はある意味大人ですよね。「まわり」に合わせることができる。真や千津のように手段を持たないわけではない。しかし表立って真や千津の立場から「まわり」に向かうことはできない。そのジレンマそのものが、中学生時代の自己が確立するという危うい過程を表しているのかな、とも思います。高校生になって違いが認められるようになるのは、「自分」というものがもう少し確立してきて余裕が出てくるんでしょうね。あとは、中学とは違って、地域のいろんな子供全部が同じ場所に詰め込まれた状態ではなく、同じ(学力)レベルの生徒が集まって、違いそのものが少なくのもあるでしょうね。

    そう考えると、千津が花実高校に居場所を見つけられたのは、同じ「普通じゃない」タイプの生徒が集まる場所として自然だったのかなとも思います。ただ、プラナリアさんのおっしゃりたい点は、なぜ千津の居場所は「普通」の学校の中に無いのか、ということですよね。アウトサイダーになってしまう子どもたちのための特別な学校を作るのではなく、普通の学校の中で包括的に受け取められればいいのに、というのがプラナリアさんの視点ですよね(であってますか?)。花実高校はそういった多様性を受け止めるモデル校として現れていると考えています。そういう意味で制服のスカート丈も揃えて、髪も黒くなければならない「普通」の学校生活は、多様性とは真逆の方向を向いていて、プラナリアさんの感じた息苦しさがそんなところにも現れているのかなと思います。

    さて、千津は花実高校に居場所を見つけ、真は高校に進んで再び「世界と僕との断絶を見」ました。しかし、真は言います。

    消えてしまいたいと思っていた。けれどそう願う強さで、僕は誰かと繋がりたかったのだ。ずっと。
     僕は断絶に手を伸ばした。この世界について知ろうと思った。僕が僕として、ここで生きていくために。

    私はこの文がとても好きです。私が棺桶に入れて欲しい本に「デボラの世界」という統合失調症の若い女性の半自伝小説があります。原題を「私は薔薇の花園を決して約束はしなかった」というのですが、これはデボラを治療する女医の言葉です。デボラは治療を通じて、自分は「統合失調症」というフィルターを通じて複雑な家庭環境を含めた世界との折り合いを付けようとしているのだということを理解するのですが、このフィルターを外す勇気が出ません。そんなときに、主治医は「あなたに薔薇の花園は約束できない。安寧や幸せも約束できない。私ができるのは、あなたがそれらに向かって戦えるようにしてあげられるだけ。私があなたにあげられる現実は、それらに対して挑戦できるということだけ。健康ということは、現実を受け入れるかどうかの選択権をあなたが持つということなの」と言います。

    私は手を伸ばす真が、デボラに重なって見えました。友人、学校、社会と、この世界そのものを理解し、内在化し、自分なりの解釈を付けるというのは、生涯を通じた壮大な作業だと思います。人間は集団社会の中で生きていくようにプログラムされている動物なので、社会から取りこぼされるということは死をも意味します。であるからこそ、慎重にもなるし、同化を試み、失敗したくない、と思う。と同時に挑戦し続けなければ、社会の中で生きていく一歩も踏み出せない。そう考えると、中高生の時期はなかなかに厳しい経過地点なのだなと思います。

    このあたりの真の心情をもう少し説明していただけますか……?
  • すいません。語り過ぎで……。顕微鏡も追い込みなので、急がなくて大丈夫です。
  • プラナリアさん、
    またまた時間が空いてしまってすみません。

    まずは「チャム」の説明ありがとうございました。
    発達心理学の用語だったんですね。この「チャムシップ(フレンドシップ)」を提唱したサリバンの説明を読んでみると、チャムシップを通じて「互いをごく親密な関係に置くことで、他人の目から見た自分を学ぶことができ、思春期前には自閉的で幻想的な自分や他人に対する考えを修正できるので特に意義深い」とあります。そして、サリバン自身が社会的、家庭的な背景からそういったチャムシップを持つことができず、後に彼が統合失調症を発症した背景の一つだったと自分で考えたのは、『デボラの世界』のデボラと重なる部分があり興味深いなと思いました。そういった点も考慮すると、真が人との関係や社会とのつながりを諦めなかったのは、彼の健康な精神のなせる技だったのかとも解釈できますね。

    さて、プラナリアさんが前回書いてくださった「自分として生きる。自分自身になる、というのは、当たり前のようでいて、とても難しいことだと思います」から「自身と向き合い、本来の自分として生きることは、避けられない戦いでもあるのでしょう」にかけての言葉は大変重いなと感じつつ、それが生きるということでもあるなと思いました。

    私達は社会の中で育ち、生きていくので、他人からの影響なしには自分というものが形成されないし、親や友達に言われた「あなたってこうだよね」という言葉が内在化されて、どこまでが本当に自分なのかもわからないところもありますよね。無意識に他人の物差しを自分に当てはめて、理由もわからずに苦しくなっている場合もありますし。そうして苦しいまま、自分という尺度を持たずに年取る人も多いのではないでしょうか。

    そういう意味では、自分はどんな人間なのだろうと考え、社会とのつながりを諦めずにその端を見つけ出せた真は幸せと言えるのではないかと思いました。あとは、やはり真の理解者、泉との出会いが大きいですよね。世間の誰も理解してくれなくても、一人だけでも本当に理解してくれる人に出会えたというのは人生を左右する重要な出来事だと思います。

    それでも学校という世界に戻ってきた真と泉は、中尾先生と同じように「忘れ物を取りに来た」んでしょう。
    「いつか、あなたが十代になったとき。学校で、あなたは何を見るのだろう。
     私達が見てきた光景が過る。美しいことばかりではない、この世界の残酷さも知っている」
    多分、自分たちが苦しかったからこそ、次を生きる子供たちには優しい場所を与えたいという気持ちがどこかにあるのでしょう。
    そして、その気持が最後の一節に繋がります。
    「どうか、あなた自身の可能性を信じて欲しい。この世界は、どこまでも広がっている。きっと、あなたの生きる場所はある。あなたを知り、あなたに会いたいと願う人がいる。だから、この世界に産まれておいで。ただ一人の、あなたとして」

    このあたりは、前回プラナリアさんが書いてくださった『デボラの世界』の「薔薇の花園」の解釈と重なりますよね。「行く道は茨かもしれないが、花園を作り出すのはその人自身であり、親としてできるのは、その戦いを見守り、共に歩むことだけである」
    この最後の一節と「薔薇の花園」の解釈を重ねて読むと、プラナリアさんは、いいお母さんだなというのをつくづく感じます。親子とはいえ、それぞれ異なる人間なんだということがきちんと意識されていて、それでも隣に立っているからね、という優しさが感じられてとても素敵だなと思います。プラナリアさんのお子さんたちは幸せですねえ。

    あとがきにありましたが、このお話はご自身の経験と息子さんへの応援として書いたとのこと。「みんなちがって、みんないい」と金子みすゞさんはおっしゃいましたが、実践するとなると難しいんですよね。違うということを受け入れるのは、相手を変えることではなく、自分の器をいかに広げられるかということなんですよね。それを理解するまでにも時間がかかるし、わかっていても難しい。その前提には自らをきちんと受け入れられているのか、という点に戻ってくるのかもしれません。発達心理学を専攻されたり、『鏡の中の少女』を読まれたりされたということから、ご自身を理解するまでの道のりは平坦ではなかったのかなと想像します。

    そう考えると、プラナリアさんがこのお話を書けたということは、プラナリアさんご自身が中学生だった自分に「そのままの自分で良かったんだよ」と言ってあげることができたということなのかなと思いました。

    いや、だからなぜ質問にならずに語ってしまうのか……。……という風に私は顕微鏡を読み解いてみたのですが、もし、ご自身でいやそうじゃなくて、とか補足したい点がありましたら、一言いただけるとありがたいです。

    そして、最後に、プラナリアさんの作品を読んでくださっている読者の皆様にメッセージを頂けたらと思います。
    あと、今後の作品の予定などがあれば、そちらも教えていただけると嬉しいです。

    うおお、語りすぎてしまって、プラナリアさんのファンの方にはお叱りを受けそうなインタビューになってしまいました。長々とお付き合いいただいて感謝です。ありがとうございました。
  • プラナリアさん、

    最終の質問にお答えいただいてありがとうございました。
    私の個人情報のことまでご配慮いただきありがとうございます。私の方は大丈夫です。ただ、自分語りが長いのでプラナリアさんのファンの皆さんのことを考えて適当に端折ることにします。

    プラナリアさんの作品はどれも大変繊細なので、あんまり突っ込んで御本人の繊細な部分を傷つけるようなことを言ってしまっては……とビクビクしながらインタビューを始めたんですが、結局イカワ節になってしまい反省しております。プラナリアさんのお話をうまく引き出せなかったかな……という心残りはあって己のインタビュー力の限界を感じております。返信をくださるにあたり、いろいろ考えさせてしまったとも思いますが、真摯なお返事を頂いて大変感謝しております。

    お忙しい中、お時間割いてくださり、ありがとうございました <(_ _)>
    これからのお話もとても楽しみにしています。「鰆区役所物語」はとても好きな作品のひとつなので、また読めると嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。

    イカワ拝
  • 追加です。
    イントロをこれから書くので (^^;) 公開は来週末くらいになります。しばらくお待ちくださいませ……。
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