お? ミナト。遅くまで頑張っているな。
何? なんでこんなところで飲んでいるのかだって?
そりゃ、あれだ。今日はミレーヌも午後から王宮だ。たまには羽を伸ばさんとな。ほら、ミナト。こっちに来い。アンジェたちも一緒で良いぞ。ギルドの酒場も、結構うまい酒が揃っているからな。
何? まだ飲める年齢じゃないって? 何言ってるんだ。もうお前は成人したんだろう?
…………
まあいい。飲めない奴に飲ますのは、酒がもったいないからな。
お! アンジェ、お前は飲むのか。強い酒を持ってこいだって。いいな、いいな……ハムハムとヒヨコもか? いや、さすがにお前らは……ん? いいのか。アンジェがいいって言うんだったら構わないか。なんだ、ミナト。渋い顔をして。そんな顔ができるなら、早く飲めるようになるんだな。
酒が飲めないなら、ミナトは料理でも食べるんだな。
……どうだ、上手いだろう? なんでこんな値段で、この料理が食べられるのか、だって。そりゃ、ここがギルドだからだ。ここは素材が集まるからな。肉の切れ端なんていくらでも出るし、なんたって新鮮だ。
うん? なんだ、ミナト。何か聞きたそうな顔をしているぞ。ああ、久しぶりの仕事中の酒だからな。なんでも来いだ! それで、何を聞きたい。
ああ、この目のことか?
まあ、いいだろう。話してやろう。これはだな、そう30年以上前になるか――
■□■□
「どけ!」
ギルドの依頼受付で、ルシアノは前で並んでいた冒険者たちをかき分ける。
「おい! 横入りすんな」
一人の冒険者が声を荒げた。だが――
冒険者の多くは「俺様」を信条としている。舐められたら、依頼を受けるのも難儀する。もちろんギルド内は喧嘩御法度だが、そんなものは建前だ。剣を抜いたり魔法を放てば、さすがにただでは済まないが、拳で語り合うのは日常茶飯事だ。多少の怪我ならギルドの職員も目をつぶって関わらない。
そして、「剣闘士」スキルを持つルシアノに茶々を入れる者など滅多にいない。ルシアノのことを知らない他所者ぐらいだろう。
今回、荒げた声を出したのも、この街では見ない顔の冒険者だった。まだ若く、虚勢を張りたい年頃なのが丸わかりだ。
「ボケ! こちとら急いでんだ! さっさと道を開けろ!」
だが、形相を変えたルシアノの顔を見て、他所から来たペーペーランクの冒険者はギョッとして慌てて横にずれた。もちろん、この街の冒険者たちがルシアノに喧嘩を売るはずもなく、カウンターまで一直線の道ができた。
そして、開いた道を真っ直ぐに駆け抜けたルシアノが、カウンターにドンと手をついた。
「ミレーヌ!ギルド長を呼んでくれ!」
だが、受付の女性――ミレーヌはルシアノの剣幕に怯えることなく、冷たい視線を向けた。頭の上にある耳がピクピクと動く。
「ルシアノさん、いつも言っているでしょう。ギルド内は走らない、大声を出さない、威嚇しない。何度言えば分かるんですか?」
「そんな悠長なことを言っている場合か! 南の森でビッグサーペントの痕跡を見つけたんだぞ!」
ビッグサーペントはCランクの魔獣だ。Bランク冒険者のルシアノの敵ではない――単体の場合に限るが。
「痕跡、ですか……?」
「そうだ。5本だ。並んで蛇行している5本の跡を見つけた」
ミレーヌの顔が曇る。
単体ではCランクと大きな脅威ではないビッグサーペントだが、集団の場合、話は異なる。複数のビッグサーペントが獲物を取り囲んで放つ「ハウリング」と呼ばれる音響攻撃は、高い確率で麻痺状態に陥らせるからだ。そのため、集団となったビッグサーペントの脅威度はAランクとなる。Bランクのルシアノでは分が悪い。
「それでギルド長は!?」
ルシアノの再度の問いにミレーヌが首を横に振った。
「ギルド長は今、ここにはいません。夕方、急用で王都に向かいました」
「なんだと……じゃあ、誰か――『剛力の棍棒』の連中は?」
「ギルド長に同行しています」
「他に、高ランクのパーティは残っていないのか!?……『魅惑のレオタード』は? 『古盾の雨』は?」
「……Bランク以上のパーティは、隣街から要請があったオーク討伐の依頼で、全てが一昨日から不在です。帰ってくるまで、まだ四日はかかります。今、街に残っているのはCランクパーティが一番上のランクになります」
「くそ!!」
ルシアノがドンとカウンターを叩く。さすがに、ビッグサーペントの集団にCランクパーティを連れて行くわけにはいかないことを承知していたからだ。
だが……
「もし、さらに仲間を呼ばれると、街が囲まれるぞ」
ビッグサーペントの「ハウリング」は範囲攻撃だ。囲まれた中で音が届けば麻痺の対象となるため、かなり広範囲が影響を受ける。さすがに5頭では、この街を囲うことはできないが、ビッグサーペントは「仲間呼び」の特技を持つ。もし20頭ほど集まって街の四方から「ハウリング」攻撃をされると、女子供、老人を含めて街の住人は一斉に麻痺状態に陥るだろう。高ステータスを持った冒険者でも、その影響は多かれ少なかれ受けることになる。そうなれば、街は全滅だ。
「おい! 誰かいないか! 一緒にビッグサーペントの討伐に行ける奴は!」
ルシアノが後ろを振り返り、聞き耳を立てていた冒険者たちに声をかけるが、皆、ルシアノから視線をそらした。
それも無理はない。ここにいる冒険者たちは最高でもCランクだ。ほとんどがペーペーランクと言われるG~Eランクに過ぎない。集団で脅威度がAランクとなるビッグサーペントの群れに対抗する力は持っていなかった。
それに――ビッグサーペントに万一、「仲間呼び」を使われた場合、他の魔物を呼び寄せることがある。その場合、他の魔物とはビッグサーペントを「捕食する」魔物――Bランク以上の魔物が寄ってくるのだ。
だから、低ランク冒険者にとって、ビッグサーペントは近寄ってはいけない魔物と認識されている。ルシアノの呼びかけに手を挙げないことは責められない。
ルシアノが、自分一人でも行くしかないと、腹を括ろうとしたその時――
「俺が行こうか?」
澄んだバリトンの声がルシアノの耳に入ってきた。声がした方をルシアノが見ると、そこには男女の冒険者が立っていた。
「あんたは?」
「俺がハルで、こいつがソラだ。王都から来たばかりだが、一応、Bランクだ」
「ソラよ」
金髪で鋭い眼差しをした若い男性と、理知的な目をした同じく若い女性のペアは、身に着けている使い込まれた、それでいて丁寧な手入れがされている防具から、その実力が窺い知れる。
「王都からの護衛依頼でこの街に来た。依頼の完了報告に寄ったのだが、困っているんだろ?」
「いいのか? 依頼じゃないぞ、これは?」
ルシアノが一言、確認を取った。
今回、ビッグサーペントの討伐に向かったとしても、それはギルドからの依頼ではない。「自主的な討伐」に当たる。仮に討伐に成功したとしても、得られるのは素材を売却した分だけだ。依頼の成功報酬はない。
それに……本来なら依頼を受けることで、ギルドの評価ポイントが付く。ギルドの評価ポイントはランクアップに重要な意味を持つから冒険者は皆が重視していた。だが、依頼ではない今回は、それもつかない。
冒険者がしてはいけないことの一つが「タダ働き」だ。仮に街を襲う脅威だったとしても、危険があれば冒険者が「善意」で助けてくれる、ということになれば、それが「常識」になりかねない。
村を襲ったオークを、たまたま滞在していた冒険者が「善意」で討伐してくれると、次にオークの襲撃があった際、村に冒険者がいれば「善意」の討伐を期待してもおかしくない。そして、その「善意」を村人たちが当然の行動と認識した場合、冒険者がそれを断れば、非難の矛先は「力があるのに村人を助けようとしない冒険者」に向く。依頼するためにお金を集めようとしなかった自分たちに向くことはない。
このように、民衆が「善意」を前提とした活動を冒険者に期待するようになると、長い目で見れば、それは冒険者制度の衰退に必ずつながる。冒険者たちにとって、依頼ではない「冒険者としての行動」は、ある種の「禁忌」に近いものとされていた。
だからルシアノが「依頼じゃない」ということを強調したのだが……
「ああ、構わないさ。『信頼』は金じゃ買えないからな」
なるほど、とルシアノは思った。村人たちが「善意」を期待するのではなく、「信頼」を寄せることになれば冒険者には大きなメリットになる。
もちろん、ハルと名乗る男がそうした打算的な考えから手伝おうと言ってくれているのではないことをルシアノは分かっていた。打算をわざと口にする、そういう考え方で一歩前に踏み出してくれる奴は、嫌いではない。
すると、カウンターの向こうからミレーヌがルシアノに声をかけた。
「ルシアノさん、今回の件はギルドから『調査依頼』を出します」
「……構わないのか?」
「ええ。私の権限では『討伐依頼』は無理ですが、『緊急調査依頼』なら出せますので」
ギルドからの調査依頼を受けての行動ならば、その後、討伐に至れば、「調査依頼」の延長線上として「討伐」の評価ポイントも加算されるし、報酬もギルドから出される。
「すまない、ミレーヌ」
ルシアノが頭を下げると「いいえ」とミレーヌは首を横に振った。
「それに――私も同行しますので」
「は? 何を言っているんだ? ビッグサーペントだぞ、相手は?」
慌てるルシアノに、ミレーヌは微笑んだ。
「ルシアノさんこそ、何を言っているんです? 調査依頼にギルドの職員が同行するのは普通です。それに、私はBランク冒険者の資格もありますから。まさか――私が同行するのを嫌だとはいいませんよね? いいませんよね? 大事なことだから2回言いましたよ」
ミレーヌの鋭い視線に、ルシアノはたじろいだ。
「い、いや。あれだ……」
視線を泳がせるルシアノに、ハルと名乗った男が「ははは」と笑った。
「あんたの負けだ」
「くそっ!」
小さく舌打ちしたルシアノだったが、ミレーヌの言い分が至極真っ当であることは確かだった。「調査依頼」にギルド職員が同行することも、そしてこの街に残る数少ないBランク冒険者の一人が彼女で、さらに戦力として数えるべきであることも。
するとミレーヌは、ルシアノの返事を待たずに、素早くカウンターの下から一枚の書類を取り出すと、サラサラと署名をした。
「現時刻を持って、この『緊急調査依頼』を発行します」
差し出された書類を、ルシアノは黙って見ていた。
「……すまない。お前は必ず俺が守るからな」
「ありがとうございます」
一瞬、見つめ合う二人を黙って見ていたハルが、ルシアノの肩をポンと叩いた。
「じゃあ、行こうか」
「……ハルとソラ、だったか。助かる」
ルシアノから差し出された手を、ハルがしっかりと握った。
(後編は、2/22に公開予定です)