夜。
今日は、我、本当に怖い目にあった。
あとで、フーナから聞いた話では、あのとき我の頭上で暴れていたのは、ヒヨコとハムハムだったそう。
……言っていることが分からない。
なぜ、湖のど真ん中でハムハムとヒヨコが暴れる必要がある?
いや、ハムハムは泳げるから、まだそこにいても許される。でも、ヒヨコは無理だろ?それに、この湖には、ヒヨコやハムハムなど一飲みにする魔物がたくさんいる。そんな場所で何時間も暴れているなど、自殺志願者のハムハムとヒヨコだったのだろうか……
あのハムハムとヒヨコが放っていた魔力は、魔力で威圧することが得意な我が、「威圧? 何それ? 美味しいの?」ととぼけるしかないぐらいの大きさがあった。さらに湖のほとりに現れた二つの魔力の塊。あれも格段に大きなものだった。フーナの報告では、ヒトの冒険者だったらしい。
幸い、いずれの魔力の塊も、こちらに向かってくることはなかったから、怖い思いをするだけで済んだが、もしあの魔力の塊が、どれか一つがこちらにくるようなことがあったなら、間違いなく今日は我の命日となったはずだ。
まあいい。もう終わったことだ。冒険者――ヒトの方は、無駄に湖の周囲に生えている薬草を乱獲していた。その量は、ここ1,000年くらいの間に、ここを訪れた冒険者が摘んでいった全ての量よりも多いぐらい。
おかしくない?そんな量を、わずか半日で採取してしまうなんて?
とにかく、我の常識を疑うような連中が、この後、しょっちゅうここに来ることがないことを心から願っておきたい。
■□■□
我、心と髭を落ち着かせるため、目を閉じて、湖の底で体を休める。
今日は、食事を摂る暇がなかった。もっとも食事を摂る余裕は、どこにもなかったのだから、暇も何も関係なかったのだがな。
とにかく、我の脅威は去ったはずだが、我の髭がピクピク動くのがいまだに止まらない。
我、ナマズの魔物だから、軽い予知能力を持っている。特に自分に対する災害には敏感。
まだ、危機は去っていない、ということか……?
だが……
目を閉じたまま、周囲を探ってみるが、湖の中、湖のほとり、もう少し広げてラルゼの森まで感知してみたが、我への脅威はどこにも存在していなかった。
昼間に怖い思いをし過ぎたから過敏になっておるのだろうか……
――?
突然、我を何か変な浮遊感が襲った。
何だ?
そして目を開けた我が見たものは……
輝くばかりの夜景。夜空には多くの星たちが瞬いている。
ああ、きれいだなぁ……
って、なるか!アホ!
何、何、何?ここどこ?
少しずつ体が震える中、周囲を確認すると、どうやら我、空中に――それもかなり高い場所で、透明な箱のようなものの中に入れられたみたい。
…………ゾッ
突然、背後から漂ってきた膨大な魔力。
やばいやばいやばいやばいやばい
今日の昼間に頭上で感じた魔力もヤバかったけれど、今、背後から漂ってくる魔力は、その比ではない。
ほら、もう髭なんてバイブレーションのように激しく震えている。
後ろを見たい。でも、見ちゃいけない。
どうしよう……?
後ろを見たら絶対後悔する。でも、後ろを見ないともっと後悔しそう……
……ダメ!やっぱダメ。後ろは見ちゃいけない。
だが、我、まるで操られたように、後ろを振り向いてしまった。
!!!!!!!!
そこには……建物の窓から、こちらを見ている、一人の少年と、片目の危ない人相をした男、そして耳がついた獣人の女の三人がいた。
特にヤバいのは、この少年だ。これは、日中に湖のほとりから何かを探るように伸びてきた魔力の気配だ。さらに、部屋の奥からは少年と同じくらいのヤバい気配も漂ってくる。
ここはどこ?……魔境?天国?あるいは地獄?……我、ここで死ぬの?
少年が我を見る目が、少し輝いた。
ああ、これは……我、知っている。捕食者の目の輝きだ。強き者が弱き者に者に向ける目。ヒエラルキーの頂点から見下される視線。もちろん、我、最底辺。
なぜか、その視線からは、蒸して焼くイメージが伝わってくる。
……もしかすると、この少年、我を蒲焼にでもするのか? なんという非道。
絶望が我の心を染めていく。涙が出そう。
その時――奇跡が起きた!
「……帰してあげてはいかがでしょうか?」
獣人の女が憐みの視線と共に、ポツリと呟いたのだ。ナイス!
すると、捕食者の目をした少年が小さな声で同意した。
「……そうします」
も、もしかして……いや、もしかしなくても、我、助かった?
獣人の女性が送っきた視線。あれは憐みではなく、実は女神様の慈悲だったのではないだろうか……そうだ。そうに違いない。
感謝します!感謝します!感謝します!
我が感謝の言葉を述べた瞬間、浮遊感を感じた後、気がつくと湖の中にいた。
「…………」
さっきの出来事が、一瞬、夢の中で起きたことだったような錯覚に陥る。無論、錯覚などではないことは、我の髭が教えてくれている。だって、未だに激しく震えているから。
我、もう一度、現実を確かめるため、ゆっくりと体を動かした。うん。我、今が夢の中でないことだけは確認できた。
そして――気がつくと、我、夢中で泥の中に潜っていた。
怖い怖い怖い怖い怖い……
目を閉じ、耳をふさぎ(ヒレが届かないけど、気持ちだけでも)、そして必死に息を殺す。
もう、辺りの気配を探る余裕もない。
うん。とりあえず一週間は、このまま身を潜めておこう……
(1/25公開予定です)