連載中の小説は評価しようがない。普通はあり得ない。カクヨムは異常か? 村上春樹氏の『ハードボイルドワンダーランド』を読んで先が読みたくて読み進み、ラスト、エンディングで肩透かしを食らった経験がある。面白かったので期待していたが、イタリアのゾンビ映画か、と思わず突っ込みたくなる読者不在の終わり方。期待が大きかったので失望も大きかった。どこにでもある小説になってしまったのだ。読了しなければ評価はしようがない。あり得ないことだ。ところがここでは普通にある。これは電脳化の末路か。クリックしちゃえ、的なノリか。それか何かのしかけがあってそれを体得したものが評価されるのか。どちらにせよおかしな話だ。昔角川だった頃、ぼくは『人間の証明』を読み映画も観た。あの時代の角川は終わりを告げ、KADOKAWAになって誇りや叡智を失ってしまったのだろう。彼等の生き残る手段はあるのだろうか。そんな切ない気持ちがある。多くの人がこのことに気づいたらきっとここは寂れる。そんなこともわからないで彼等は仕事をしているのだろうか。