Side:土田御前
「うみ~、うみ~」
那古野から戻った市はご機嫌な様子で騒いでいます。困った子ですね。そろそろ落ち着いてほしい頃だというのに。
「ははうえ、うみ!」
よほど楽しかったのか、身振り手振りで伝えていますが、興奮しているのか要領を得ませんね。市を落ち着かせようとしている乳母に問いましょうか。
「久遠殿が海水浴という海での遊びに行くらしく、姫様も良ければとお誘いいただいてございます」
海水浴? ああ、浜で泳ぐという久遠の遊びですか。
「ちちうえも、ははうえも!」
「ほう、皆で行こうというのか? 市よ」
「あい!」
なんとまあ、勝手なことを。
「ふむ、よいかもしれぬな。一馬に聞いてみるか」
「殿、一馬殿が困りますよ」
市の戯言に付き合うだけかと思うていると、本気で考え始めた様子の殿を諫めます。殿や私が行けば一馬殿は気を使うでしょう。左様なことは控えるべきだと思います。
「久遠の遊びを知らずして久遠を語れまい。そなたもあやつの母となるつもりであろう? ならばよいではないか。なあに、困るくらいなら市を誘わぬはずだ」
あまりのお言葉に、なんと返していいか分からず呆けてしまったかもしれません。
殿はいかなるわけか、一馬殿のこととなるとあり得ぬことを平気でなさってしまいます。頻繁に屋敷を訪れることなども、常ならばあり得ぬことなのですが。
当然、周囲は案じるのですが、それで上手くいっているのも事実なため、あまり強く言えません。
「一馬は常にエルたちと共に出歩くからな。市もわしとそなたと海に行きたいのであろう」
「あい!」
ああ、殿の言葉に市がすっかりその気になってしまいました。よいのでございましょうか?
「古き形など忘れろ。そなたが久遠の遊びをせねば、尾張の女衆が誰も真似出来なくなる。なあに、一馬のことだ。笑うて引き受けてくれる」
それも確かにそうですが……。
一馬殿たちが尾張に来て、もうすぐ二年。織田家は変わりました。
勝手ばかりしていた三郎は、エル殿たちに指南を受けて人の上に立つ者として自覚を持ちつつある。
殿はよう笑うようになられましたね。かつては、戦や争いの話ばかりしていたというのに。
女衆に対して外に出て生きろなどと、酔狂なことを言い始めたのもエル殿たちがいたからこそ。
「冬、いかに思いますか?」
他の者に問うわけにもいかず、久遠をもっとも知る市の乳母に問うしかありません。
「……畏れ多いと言われるかもしれませんが、喜ばれると思います。久遠の皆様方は共に過ごす時を大事としておりますので」
そうですか。ならば、それもいいかもしれませんね。
市や三郎と共に久遠の遊びをするのも。