Side:北畠具教
到着した師は殊の外、上機嫌な様子だった。しばし尾張に滞在すると文が届いた時には、何かあったのかと案じたが。
「此度の旅はいかがでございました?」
歓迎の宴に同席する者が師に問うと、面白げに笑みを浮かべた。
「うむ、尾張で敗れた」
その言葉にしんと静まり返ったが、すぐに誰からともなく笑い出した。師の武芸の腕前は勝る者おらぬこと、皆も知っているからな。
「くはははは、まさか塚原殿がかような戯言を口にされるとは」
「まったくだ。いかな顔をしてよいかと焦ったわ」
面白げに笑みを浮かべる師の様子から、皆同じように戯言と思うたのだろう。わしですら文を頂いておらねばそう思うたはずだ。
「事実じゃ。敗れた故、新たに師を得て学んでおっての」
敗れたことを楽しげに語る師に、皆、戸惑うており、父上もまた訝しげにしておる。
「それほどの相手でございましたか?」
事前に知っておるのはわしだけ。というより、口外してよいか分からなんだのだ。故に問いたい。噂の今巴とは、それほどの者だったのかとな。
「さて、いかがであろうかの」
皆が注視する中、師は変わらぬ笑みを浮かべたまま答えをはぐらかした。まるで己が目で確かめよと言うように。
師も衰えたのか? |齢《よわい》も齢だ。そんな顔をしておる者もおる。だが、わしには衰えたとは思えぬのだがな。
立ち居振る舞いは見事としか言いようがない。
素直に問うても教えてくれぬならば、聞き方を変えねばならぬか。
「子弟とは軽うないはず。他ならぬ師なればこそ……」
「そうじゃの。わしも鹿島新當流の免許皆伝を授け、今巴殿より久遠流の免許皆伝を頂いた」
その言葉にざわめいた。教えを請う者には惜しまず指南するが、とはいえ免許皆伝を与えるのは相応に学んだ者のみのはず。
少なくとも師に認められたのだ。今巴という女は。
「武芸のみにあらず、面白き国になったぞ。尾張はな」
胸の奥がざわめく。
見てみたい。師にかような顔をさせる今巴と尾張を。
なにがあるというのだ? 噂の南蛮船か? 大きいとはいえ、船に変わりあるまい? 師がかように楽しげな顔をするのか?
行ってみたい。尾張へ。師が見たものを己が目で確かめたい。
だが、父上は許すまいな。
領内にて鍛練の旅をすると言い、数日留守にするくらいなら構わぬか? 露見せねば、お叱りを受けまい。
とはいえ、わしが動けば目立つ。
そうだな。花火とやらを見せるという熱田祭りの頃にするか。あれも見たかったのだ。人が多く動けば、露見することも危うくなることもあるまい。
うむ、それがいいな。
今巴と会えるか分からぬが、なにか見えるかもしれぬ。