• 現代ファンタジー
  • 異世界ファンタジー

記憶は本人じゃないです

 よくSF的なやつであるでしょう? 記憶をダウンロードして若返るとか言うアレ。私が最初に見たのは『からくりサーカス』です。あの当時はその思想はかなり新鮮でした。ダウンロード、そう言うのもあるのかと!
 他作品で似たようなギミックを見るようになるのはかなり後になってからだったような気がします。富士鷹先生しゅごい!

 記憶のダウンロードネタがからくりサーカスから始まったのか、それ以前にあったのかは分かりません。それは本題ではないのでサラッと流しますね。海外SFとかなら、もっと以前にそう言うネタを生み出していそうですよね。分かりませんけど。

 私が言いたいのはですねえ、タイトルの通りなんですよ。記憶を引き継いだらその記憶の持ち主になるのかって話ですね。んなこたぁないです。その記憶を持った別の人です。その人が若い体を得るには、その人の魂が若い人の体を乗っ取るしかありません。憑依以外に引き継げやしないのです。

 記憶の引き継ぎと言えば、イタコ作家がトレース先の作家の作風を真似てもトレース元の本人とは違いますよね? そう言う事なんですよ。
 イタコ作家だからトレース元の先生の事は詳しく知っていますよね。その人の作風を真似て書く事が出来るくらいだから考え方も近いものがありそうです。だからと言って、イタコ作家はイタコ作家です。本人になりすます事までは出来ても、本人そのものにはなれません。当然ですよね。

 なのにですよ? 記憶を引き継げば本人が再現される的な話を今までに何度見てきた事か。本人の魂以外は本人じゃありません。記憶は記憶でしかないんです。同じ記憶を持っても、次にする行動は本人と本人以外とでは違うものです。その人の記憶や癖を全て消して上書きしたって、その体が本人のクローンだからって別の人です。影武者は影武者でしかないんです。

 だから本人を引き継ぐ設定の話を書くなら、魂がデータ化された設定にしなくちゃですよね。そして常に新鮮な身体に乗り移っていると。これで万事解決です。
 そう言う事をですね、考えているのが私なんですよ。今回はそんな話でした。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する