おじさん構文ってありますよね。読点が多いとか、絵文字を多用するとか。後、文章の内容がキモいとか(汗)。そう言うおじさん構文のサンプルとかを読んでいて、ふと疑問に思っていた事があるんです。それが今回のタイトルになりますね。
カクヨムのエッセイにも読点の多い文章で構成されているものがありましてですね、これが正直読み辛いんです。執筆している当人は気にならないのでしょうね。
私は出来るだけ余分な読点は入れない派で、ひとつの文章にひとつを原則しにしています。読んでみて不自然だったら追加する感じ。
読点が少ないと言う部分だけに注目するなら、私の文章はまだまだ若いと言う事になるかなと自負しているのですが、問題は読点の多い人についてなのですよ。この傾向って、果たして加齢が関係しているのかどうかと。読点の多い人は若い頃からそんな文章を書いていたのでは? と思ったり思わなかったりなのです。
もし加齢につれて読点が多くなるのだとしたなら、それは傾向としていつ頃が多いのか、原因は何なのかと言うのが疑問なんです。私自身が読点少ない派なので、この疑問が自分では解けないのですよね。
例えば、新聞の記事でも読点が多い場合があります。そう言う文章を多く読んでいると、それがいい文章だと学習してしまう――と言う可能性も、もしかしたらあるのかも知れません。
読点の多い文章を読むと、スラスラとは読み辛いですよね。黙読でもそうですが、音読だと更に読み辛い気がします。だって、裸の大将みたいな感じになっちゃいますもん。それが嫌なので、私は読点を少な目にしちゃうんです。
ただ、小説のキャラ付けでそう言う喋りのキャラを登場させるのはいいかなとも思います。例えば、ぼのぼののお父さんみたいな。
カクヨムで見た読点多い文章はまだマシな方で、この間調べ物をした時に目にしたブログの文章は本当にヒドいものでした。キャラ付けでわざとそうしてるのかと思うくらい読点が多かったです。流石にひと目見て即ブラウザバックしましたね。ちょっとした狂気すら感じましたので。
何事も適切なバランスがいいですな。人の振り見て我が振り直せと言いますけど、今後も読んでみて不自然に感じなような文章を心がけたいと思います。