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物語のためには敢えて設定から逸脱出来るような作品が強い

 私は先日(※執筆時)映画『天気の子』を見てきたのですが、ほぼ王道の物語展開を見せつつ、ラストでそのお約束を裏切っているのですよね。
 こう言う作品自体は前からあったのかも知れません。ただ、人気映画の二作目、多くの人が期待するメジャー展開の中でそれをやってしまえるのはすごいと思います。だから専門家の中に不満を訴える人も出てしまうのですが。
 賛否両論は人気作の証ですね。『君の名は。』もそうでしたし。

 で、ですね、ここからが本題なのですが、面白さのためには敢えて設定をぶん投げられる。そう言う作品が強いんじゃないかなと私、思う訳なんですよ。そりゃ、やりすぎてはアカンですが。

 昔は私も設定重視で見ていたので、少しでもおかしかったり伏線をブン投げたりする作品はあまり好きではありませんでした。これ、受け手側の視点での感想ですね。

 で、いざ書く側に回ると設定に縛られる縛られる。自分で考えたのもあって、その設定から逸脱する物語って中々書けません。こう考えたのだからこの流れに沿わさな! って思ってしまうんですよね。よっぽど上手く設定しておかないと設定に物語が殺されてしまうんですよ。予想通りの話に、物語が小さくまとまってしまう。予想外の展開にしようとしても設定が足枷になってしまうんです。

 面白さのためには、そんな設定なんぼのもんじゃーいってぶん投げるのもまた、すごく勇気のいる事だったんです。予想を裏切り、作者の思想を伝えるために物語の流れすら変えてしまう。語りきれなかった謎はもうそのままにしたり、伏線投げっぱなしでもいい。その方が面白くなるのならば!

 と、それが出来るような人になれたらいいなと、今の私はそう言う心境になっています。まずはそう言う面白さを思いつけるようにならなきゃですけどね。

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